風惑リアリティ 七話 夢でも現実でも変わらないもの


教室に戻ってみても2人の姿は無くて、会えずじまいのまま次の日を迎えてしまった。一睡もできなかった俺の部屋に差し込む日の光に不安が募る。
どこかで感じていた焦燥感がじわじわと大きくなるような気はしていたのだが、それを止めることもできないままの自分に苛立っていた。
リボーンの話は始まっているけれど、これが終わるまでは俺が帰ることはできないのだ。
それならば、俺がここでとるべき行動があるというのだろうか。
考え始めればどこまでも答えが出ることはなくただただ思考の波に呑まれるだけだったので、もしかしたら学校へ向かう足取りが重いのも、その波に足を取られているからかもしれなかった。
けれど、頭で考える必要は――――

「大変だ、山本が、山本が屋上から飛び降りようとしてる!!」

なかった、のだ。



守るものを間違えてはいけません



「ツナ!お前屋上に行け、早くっ」

青白い顔でおろおろと辺りを見回していたツナに叫ぶ、だが震えているツナは怯えたようにこちらを見るだけで足は動かない。

「おれ、もしかしたらおれのせいで山本……アドバイスとか、したから」

「違う、悔やまなくていいから早く山本の所に行ってやれ!あいつはお前を待ってるんだ」

肩を掴んで、語りかける。うっすらと思い出した漫画の話では、確かにツナがしたアドバイスで山本は無理をして骨折していた。
しかしここで責めるような真似をする必要はないし、何より時間がない。山本を止められるのはおそらくツナだけなのだ。
しばし俺の目を見てかたまっていたツナだったが、力無く、しかし確かに頷いて教室から駆け出して行った。
その後姿を見届けて、自分も駆け出す。向かう先は違うけれど、きっと心の中に渦巻く後悔はツナと一緒だった。


きゃあああ、という悲鳴が聞こえてくる。咄嗟に屋上の方を見上げるが、どうやらここではなくもう一つ角を曲がった先らしい。
息が切れても構わない、万が一のことを考えれば足を緩める気にはならない!
もっと早く、と急く気持ちでやっと校舎の角を曲がれば――――ちょうどスプリング弾で裏庭の地面から跳ね返るツナと山本の姿が見えた。

息を飲む。心臓が止まったような気がした。


「あれ、……どうして、ここに」

立ち尽くす俺に気づいたのだろうツナが目を丸くして座り込んだまま問いかけてくるが、質問は頭を素通りする。助かった2人の顔を見ても、安堵とは程遠いところの気持ちしか湧かなかった。
なぜここに居るのかと、不思議そうな顔で見上げてくる2人に近づく。息は整わないが、そんなことに構っていられなかった。
骨折した手を支える包帯が痛ましげだったが、その包帯の間から山本の制服を掴みあげる。

「親から貰った命を粗末にすんじゃねえよ!野球ができないから死ぬだ?そういうのは努力して努力して努力しきった後誇れるような自分になってからもう一度言えるもんなら言って見やがれ!たかが一度の骨折で治すことすら諦めてるやつが口にするセリフじゃねえ!お前の親も、友達も、そんなことでお前を失いたくないに決まってんだろうが!!」

「ちょっと、!」

ツナに負けず劣らず目を見開いてこちらを見上げる山本が、わかってくれているのかはわからなかった。
けれど一度出したら止まらなくて、ただただ、目の前で簡単に死のうとした奴にたいして怒りが隠せなかったのだ。
茫然と見上げるままの山本の服から手を離し、立ち上がる。ツナも何と言っていいかわからないらしく、俺と山本を交互に見ながらおろおろしている。
2人を残して、踵を返した。


「……ちょっと、なんなのさ君。鬱陶しいから出てってよ」

「うるせー、ここぐらいしか人が来ねえとこ無いんだよ」

教室に戻ることもできず、うろうろと人がいない所を探していたら応接室の前を通りかかった。
どこにも生徒が居てどうしようもなかったので、ひとまず避難させてもらおうと入ったのだがあとあと考えてみれば相当自分は頭が沸いていたのだと思う。
ドアを開くなり雲雀を無視してソファーに腰かけたりなど、普段の自分がするはずはないからだ。まず、命が惜しい。
しかし一声お叱りを受けた後雲雀が声をかけてくることはなかった。
こちらも聞こえないというように耳をおさえてそっぽを向いてうなだれていたいたのだが、仕事が忙しいのかトンファーが出てくることもなく数分が過ぎた。
互いに口を噤んだままで時間が流れて、突然雲雀が席を立った。ついにトンファーかと、うなだれたままで身を固くしたが雲雀は俺の横を素通りしてドアに手をかけた。

「校舎内の見回りをしてくる」

そう言って出ていった雲雀に、もしかして気を使われたのだろうかと考えてまさかそんなことあるはずがないと打ち消した。仕事も忙しいようだし、きっと定期の見回り時間なのだろう。
雲雀が書き物をする音もなくなって、より静かになった応接室の無音が耳に痛い。

「くそっ……!!」

振り上げた拳をソファーに打ち付けて、苛立ちをなんとか落ち着けようとした。自分の行動を心底後悔していた。
ストーリーを捻じ曲げるのが怖くて、山本を止めることにすら考えが及ばなかった自分は、まだ心のどこかでツナたちのことをただのキャラクターとしてしか見ていなかった。
けれど、山本とツナが九死に一生を得たあの瞬間冷えた心はまぎれもなく本物だった。だから山本にあれほど怒りが湧いたのだ。彼らの命が今まで自分が接してきた人と、友人たちと、一緒だと気づいたから。

(こんなことにも気付けなかった……、俺!)

ぎり、と握り締める手に冷たい何かが垂れた様な気がした。


陸上部の友人のことを思い出していた。走ることに夢中になっていた俺たちは部活に参加している時間が一番楽しくて、自己タイムが更新できたときは嬉しくて、友人がタイムを更新した時は自分のことのように喜んだ。
そんなとき、ひとりの友人が大会前に無理な練習をして、アキレス腱に酷い炎症を起こしてしまって2週間ほど部活に参加できなくなった。もちろん、そいつの大会への参加は見送りせざるをえなかった。
クラスでのそいつはいつもと変わらないように見えたけれど、練習時間の放課後が近づくにつれていつも顔が陰っていくことを知っていた。そいつがその大会にかけていた情熱も。
怪我をしていない俺たちはどうしたってそいつの代わりにはなってやれない。部活の話を振ることもやめた。怪我が完全に治って、そいつが復帰するまではつらいようだがそいつの戦いだと思っていた。
俺たちは支えることはできたって、怪我を乗り越えられるかはそいつ自身にかかっているのだから。
誰もが口にはしなかったけれど俺たちの期待していた通り、怪我を治してから少しの時間を経てそいつは部活に戻ってきた。
部室のドアを開けて、前と同じ笑顔で挨拶をしたそいつに、思わず涙がこぼれそうになったのを覚えている。

山本とそいつは違うかもしれないけれど、どう考えたって死ぬような真似をして正解なわけはない。―――正解であって、たまるものか。


「……う」

目を開く。気付けば眠っていたらしい。目をこすりつつ辺りを見回して、血の気が引いた。

(俺、応接室で、寝てた……?)

どれだけ寝ていたのかはわからないが、どうやら自分は生きているようなのでまだ雲雀も見周りから帰ってきていないのだろう。
もし主不在の応接室で勝手に寝入っているところを見つかったりしたら、「ふざけるな」とトンファーで一撃くらう程度で済めばいい方ではないか?
と、時計を確認しようとして、すっかり覚めた頭で改めて開いた目に何かが映る。
油の切れたロボットのように不自然な動きで左を向く。そこには、

「ひ、雲雀……なんで」

自分が入ってきた時と同じ姿勢で報告書をめくる風紀委員長の姿があった。

「僕がここに居てなにか不都合でもあるわけ?むしろ君がいることの方がおかしいんじゃないの」

「そうじゃねえ!いや、そう!だからなんで俺無事なんだ?!」

思わず後頭部を触って確認してしまった。実はもうすでにトンファーで殴られていて、殴られると同時に気を失って覚えていないだけなのではないかと。 しかし頭には陥没したような跡も、たんこぶ一つすらできていなかった。
そして茫然と見上げる視界に、壁に掛けられた時計の文字盤が映って悲鳴をあげた。

「よ、四時ぃ!?なんでこんなに時間が……夕日まで射してる?!」

「起きた早々うるさいね。噛み殺すよ」

目を白黒させているうちに言葉通りトンファーが閃いて、慌てて体をひねる。

「うおっ!!」

「君、やっぱりそれなりに見えてるみたいだね」

避けたトンファーが俺の座っていたソファーに叩きつけられる。俺が叩きつけた拳と違ってその一撃はへこませるだけじゃなく表面の皮を引き裂いて中ほどまでめり込んだ。

「おま、これ学校の備品じゃねーのかよ!」

「どうでもいいよ」

会話の間にも急襲しつづけるトンファーを紙一重で回避して、なんとか応接室の入口を目指す。
今回は賭けでもないのだし、逃げるが勝ちだ。
下から振り上げられたトンファーをかわす勢いで一足飛びをしてドアの近くに着地した。膝を曲げて衝撃を吸収しつつ、少し離れた雲雀を見上げる。

「逃げるの?」

「戻るんだよ!教室に。答えも出たし、謝らなきゃならねーからな」

俺の言葉に、雲雀が片眉を跳ねあげた。自分でも、すっきりした表情をしているだろうとはわかっていた。ここに来た時とは違う。眠りに落ちる前に、俺なりの結論を出したのだ。
俺は今ここにいる以上、ここの人間だ。目の前で、自分とおなじ人間である知り合い、それ以前に友人が傷ついたり死んだりするのを見てただ黙ってはいられない。

(だから、なるべく助ける。……それで、俺がもし帰れなくなったりするのは困るけど、ほっといて帰ったって後悔するだけだ)

なにもかもを無視して帰れたところで、元の場所で突然人を大事にできるわけがないのだ。

「俺らしくねー俺とはさよならだ」

見上げる形ではあるが、まっすぐに雲雀の目を見る。そのまま数秒、す、と構えていたトンファーが下ろされた。

「……好きにしなよ」

まさかの言葉に拍子抜けして、口が開く。そうして雲雀の顔を見ていると、思わず余計な一言が漏れてしまった。

「今日、雪でも降るのか?」

「そんなに噛み殺されたいなら別だけど」

「行くよ!行く行く!悪かったって」

再度構えられたトンファーに俺は一も二もなく逃げ出した。―――いや、教室へと、駆け出した。


!」

息を切らせて教室のドアを開ければ、夕日の差し込む教室にツナと山本だけが残っていた。もしかしなくても待っていてくれたのだろうかと考えて、嬉しくなる。
けれどそれは告げずに2人に近づいた。そして、頭を下げる。

「ごめん、山本」

言いたいことがあったのは確かだ。けれど、あのときの俺には山本に説教できるような資格はなかった。そもそもの可能性に気づいていたくせに、何もしなかった自分には。
恐る恐る顔を上げれば、ぽかんとしている山本の顔が目に入った。自分はなにかおかしなことをいってしまっただろうかと、不安になり始めたその時、山本が豪快に笑いだした。

「ははははっ、謝られることなんてなにもないのな!あんとき俺がどーかしちまってたのは確かだし、ツナのお陰で助かったんだしな。むしろ」

笑いをおさめて、少し恥ずかしそうに付け加えた。

「あんなに真剣に怒ってくれるやつなんてそんなにいねーよ。ありがとな」

それに実はお前の剣幕にびびってたのなー、と言う山本にあやうく涙がこぼれそうになる。漫画の中でもそうだったけれど、こいつは本当に、

「山本ー……、お前いいやつだなぁ」

本気で泣きそうだった。勝手に説教垂れたただのクラスメートに、どうしてこんなに気を使ってくれるのだろうか。
本日二度目の涙をこらえ(二、度目?一度目なんて、あったっけか)つつ、真正面から山本の笑顔をみられなくて、視線を外せば、ツナが気まずそうにしているのに気がついた。

「ツナ、どーしたよ」

「え、いや。俺、があんなに怒ってたの初めて見たからどうしていいかわかんなかったのに、山本の方がのことわかってるみたいだから。びっくりしちゃって」

申し訳なさそうに小声でツナがそういうので、少し首を傾げて答えた。

「でも山本と喋ったの今日が初めてだぞ俺」

「えええ?!」

けれど、他人と初めて関わったときに感じるような違和感はなくて、きっとそれは山本の雰囲気がそうさせるのだろうなと思えた。

「まあまあ、そんなのもいいんじゃね?」

俺とツナの肩を叩きながらそう笑う山本を見て、こいつが死ななくて本当によかったと、そう感じた。
昨日と同じオレンジに染まる二人の笑顔に、俺もたったの一日ぶりではあるがやっと心から笑えたのだ。

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