風惑リアリティ 三十三話 痛み分けという言葉が必要なら


「山本ォ!」
ツナの裏返った叫び声が地下で反響した。リボーンに蹴落とされた為山本と同じく下にいて俺たちの所から顔は見えなくても、浮かべているだろう表情はわかる。
今目の前ではアニマルチャンネルを使った城島が凶獣の速さを以て山本に跳びかかろうとしているのだ、叫ばずにはいられない。
咄嗟に短剣に手を伸ばした俺に、リボーンの場違いともとれる静かな声が届いた。
「やめとけ。お前がそれを投げたところであいつに当たる確率も低い」
「!でもこのままだと山本が!!」
言い返す間に、山本の折られた刀に残ったわずかな刃が光を反射した。
警告のようなそれに、腕が止まる。耳に飛び込んだ鈍い音と、リボーンの声が重なった。
「お前の短剣が間違って山本に当たるよりは山本の策の方が良い」


痛み分けという言葉が必要なら


「いてっ」
リボーンの持ってきていた救急箱から取り出した消毒薬をかけると、沁みたのか山本は少し顔を歪めて小さく声を上げた。
その後すぐ恥ずかしそうに頭を掻いたが、笑い返せなくて俺はずっと傷に視線を落としたままだ。
「山本、無茶だよあんな……野球の大会だってあるのに」
ツナが困ったように眉を下げて山本の先程の行為―――片腕を犠牲にして、刀の柄で相手を殴って沈めるという暴挙だ―――を諫めている。
俺自身無謀すぎると思ったし、一歩間違えば肉食動物の如く腕を食いちぎられていたかもしれないという恐怖が今では山本の行動に対する苛立ちに変わりそうだった。
しかしそんな俺の考えをまるで知らないように、山本がぽつりと言う。
「友達より野球を大事にするなんてのは、あの時までだからな」
想像していたより、はるかに落ち着いた声だった。あの時、というのが屋上からの飛び降り未遂をしたときだと言うのは言わなくても伝わってくる。
どんな顔をしているのか知りたくて、恐る恐る顔を上げた。
(―――ああ)
やはりいつもの山本の笑顔だったが、奥底にある決意を表すように雰囲気は静かで揺るがない。
あの日、夕陽の差し込む教室で見た笑顔よりももっと力が、見る人を安心させてしまうような力がある。
「……どいつもこいつも自分のこと心配しろっての!」
「いってててて」
「ちょっと!」
巻き途中の包帯を気持ちきつめに締め上げて、山本を下から睨む。緩みかけた涙腺のせいで凄めていないのはわかっていたが、年下の山本が浮かべる大人びた笑みを崩したかったのだ。
苦しいときほど笑うなんて言うのは、中学生のこいつらにさせたいことじゃない。
そう思ったのに、山本は勘弁してくれよー、とおどけたように言ってまた笑うだけだった。

「んで、アネキがあいつを沈黙させちまったからどうにもわかんねーけど、進むしかねーよな」
「あら、まるで私が悪いみたいじゃない」
それ以外に何があるってんだ!と続いた獄寺の言う通り、城島から情報を聞き出せなかった俺達はまたヘルシーランドの中を適当に進んでいくしかない。
もともとそのつもりではあったのだが、どうせなら敵の策を知っておきたかったというのがあるから、獄寺には突っ込まなかった。
前に見えるのは相変わらずの草だらけで、入口から遠ざかれば遠ざかるほど周囲は森のように木に囲まれて視界が利かない。
「とりあえずあの建物が見える方向でいいのか?」
「うーん、そうだね……どこに敵がいるかわかんないし」
まだまだ遠いものの、木々の頭の向こう側に灰色の建物が見える。
確か決戦の場所、そして雲雀がいるのもヘルシーセンターだったはずなのだが、どれがその建物なのかわからない俺には来たことがあるというツナに頼るしかない。
しかしツナは俺の考えに気付かなかったらしく、辺りを忙しなく見まわしながら心ここに在らずというように答えを返してきた。
先ほどが先ほどだっただけに、またどこからか敵が飛びかかってくるものと思っているらしい。
溜息をひとつついて、少し落ち着け、そう声をかけようとした瞬間だった。
「……フゥ太?!」
ツナが左右に動かしていた頭を止めて、叫んだ。呼んだのが一瞬誰の名だか、理解できずに固まる。
そして俺以外の全員が、ツナが凝視している木の影へと向きなおった。
「どうしてここに……」
ビアンキが驚いたように口にした一言が、まさに全員の内心を代弁していた。信じきれないことではなかったはずなのに、それでも俺の体は凍ったように動かない。
(そうだ、どうしてケンカランキングが向こうの手に渡ったのか、それを)
皆に伝えていない。もちろんリボーンの推察から予測は付いていたのかもしれないが、フゥ太本人がここにいることを予め読んでいたのはリボーンだけだろう。
嫌に冷えて行く頭の中で、ケンカランキングを作らないでくれと言った日のことが思い出される。あの目論見は残念なことに失敗してしまったようだけれど。
「ツナ兄、ビアンキ姉、武兄、隼人兄、リボーン……」
今聞こえてくる声はまぎれもなく、あの時と同じ本人のもの。
その声に手繰り寄せられるようにして、油の差し忘れた機械仕掛けのようにぎこちなく足を動かし体ごとそちらへ向く。
そんな俺の動作を待っていたように、久しぶりにみる少年の口が動いた。全員の顔を見ながら名を呼んでいたらしく、頼りなく動く顔と視線がゆっくりと俺の目を捉える。
兄」
「フゥ、太……」
喉がひりついて、上手く声が出せない。水が欲しい、そう思うほどに喉が焼けるのは不自然なほど激しい動悸の所為なのだろうか。
弱弱しい声が、全員の名を呼んだあとでフゥ太は一度俯いた。突然の再会に驚いていたツナが慌てたように声を上げる。
「なんでここに……あ、黒曜生に捕まってたのか?ならもう大丈夫だぞ!一緒に帰ろう」
明るい声とともに手を伸ばしたツナに、はっとしたようにフゥ太が顔を上げる。しかしその足はツナの手を恐れたように一歩後ろへと下がった。
「……フゥ太?」
「僕、ツナ兄たちとは一緒にいられない……骸さんと一緒に行く」
自分に伸ばされた手に怯えるように頭を振って信じられない言葉を紡いだフゥ太に、ツナが慌てて近寄ろうとする。
しかしそれさえも拒否するように、フゥ太は濡れた瞳で叫んだ。
「さよなら!」
「おい、フゥ太!!」
一瞬早く駆けだしたフゥ太を追って、ツナが林に飛び込む。追わなければいけない、そう思ったのに、足が動くまでのタイムラグがあった。
それを乗り越えて、獄寺達に待ってろ!と言い置いて走り出す。既にツナの後姿は見えず、がさがさと草を踏む音が前方から聞こえるだけだった。
思ったよりも離れてしまった原因であるタイムラグを生み出したのは―――フゥ太がさよならと叫んだ直後、なぜか俺と目が合った、それだけだ。
だがそのとき俺に向けられた眼差しはその数瞬前に見せた泣き出す前の子供のそれではなく、温かみのないそれだった。
まるで、着いてこいと言われているような。
ただの見間違いだろうとそう思いたかったのに、一向にツナに追いつけない焦りがまた新たな違和感を見つけてしまった。

(フゥ太が現れるのは、こんなに早かったか?)

そうだ、さっきツナに声をかけようとした内容を思い出す。まだ敵の刺客は来るだろうが突然飛びかかってくることはないと思う、そう言おうとしたのだ。
アニマルチャンネルを持つ城島ならともかく、他の敵の戦い方は獣のようなそれではないと言いたかったのは、次の刺客に見当がついていたからだ。
少なくともフゥ太が登場する場面ではないはず―――思考が纏まってくるにつれて、背筋が冷える。
ならばなぜ、順序が変わったのか。
それを考える間を、『相手』は与えてくれなかった。
思考に没頭して、前を走る足音が減ったのに気づかなかった俺が悪いのだろう。
突然開けた場所に出て、俺を待ち構えるようにして立っていた人影―――フゥ太は生気のない瞳で俺を見上げていた。
「ちゃんと着いて来てくれたね……兄」
「っフゥ太……」
全速力で走ってきた俺が息を切らせているのに対し、何故かフゥ太は落ち着いた呼吸で俺の名を呼んだ。
どうしてツナがいないのか、それすら聞ける状態ではなかった。何故なら―――
「ずっと思ってたんだ……兄がいなかったらって」
まだ小さなその手に、小振りの拳銃が握られていたからだ。



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