風惑リアリティ 三十話 暗がりの悪意と空の下の悲鳴
「、さっきよりすごく顔色悪いよ?大丈夫?」
「あ、ああ」
下から覗きこまれるようにしてツナに言われたことを確認し、口端を持ち上げる。
「大丈夫だよ、それよりツナ、お前は大丈夫か」
「そりゃ怖いよ!でもここは病院だし……」
草壁さんは病院の外でやられたんでしょ、と続く言葉に眉を寄せる。つい今さっき救急で運ばれてきた草壁さんの、苦悶の表情が蘇る。
忠告しておけばよかった。まだ事件は解決しないだろうと、そうすれば。しかし風紀副委員長である彼が、事件が解決しないと知って保身するとは思えない。
「何を甘っちょろいこと言ってんだ」
姿を消したときと同様、唐突に現れた赤ん坊は不真面目さを一切排除した鋭い眼光で俺たちを睨みつけながら、言った。
「ケンカ売られてんのはツナ、お前だぞ」
暗がりの悪意と空の下の悲鳴
「君が、いたずらの首謀者?」
「クフフ……そんなところですかね。そして君の町の新しい秩序」
数多の黒曜生を殴り倒したトンファーをひと振りして、付着した血を落とす。あるいは壁、あるいは地面に落ちた血痕は、薄暗いこの建物の中では黒く染まり視界からその存在感を薄くする。
その代り、というように、並盛中の体育館ほどもあろう広さの部屋の奥に、おそらくソファーの上に座る人物の威圧感がその場を支配していた。
それが気に入らず、雲雀は纏わりつく威圧感を振り払うように腕を振り下ろして殺気を露わにする。
「座ったまま、死にたいの?」
「面白いことを言いますね。立つ必要がないから座っているんですよ」
妙な笑い声をあげる目の前の人物―――わずかに差し込む逆光のせいで顔ははっきりしないが、声から察するに若い男だろう。
おかしな笑い方も、神経を逆なでするような言葉も気に食わない。怒りをそのまま声に乗せる。
「君とはもう、口をきかない」
「どうぞお好きに?……と言いたいところですが、こちらはあなたに聞きたいことがありまして」
無視をして、物理的に口を塞いでやればいい。しかし心なしかいつもより足に力が入らない―――いや、腕も?
「、」
自身の体が訴える不調にさいていた思考が、8割を超えて相手の発した人物の名前に引き寄せられる。
「というのは、あなたの学校の生徒ですか?」
「―――知らないね、仮にそうだとして、そいつが何だっていうの」
数瞬空いた間の理由を相手に悟られていないことを祈りつつ、素知らぬ風をして尋ねる。
ここに来る前に無事を確認したはずの名前を、まさかここで聞くことになるとは思っていなかった。
「おやおや、おかしいですね。もう口を利かないのでは?並盛中風紀委員長、雲雀恭弥」
自分から訪ねたとは思えない切り返しに、噛みしめた歯がぎり、と音を立てて軋んだような気がした。
「クフ、まあいいでしょう。少し気になることがありましてね。ただ名前しかわからないのでどうしようもなくて」
「……」
問い詰めたくなるのを必死に抑え、代わりにトンファーを握りしめようとする。
殴って吐かせればいい。について気になることの内容も、この襲撃の理由も。そう思っているのに、指先に力が入らない。
ともすれば震えだしそうな足と指先を自覚しつつ、必死に隠す。
敵に不調を悟られるようなことはあってはならない。なのに、なぜだろう。この不調は酷くなるばかりだ。
「そろそろ、立っているのも辛いのでは?少し調べさせてもらいましたよ。苦手なんですってね、」
それまでと変わらない調子で、まるで挨拶を口にするような気軽さで流れる言葉が耳障りだ。
けれど思い出す、そう、一度感じている。冷汗が噴き出すこの気持ち悪さ。視界を奪おうとする無情な眩暈。
(だけどあの時は)
「―――桜」
「……っ」
(あの時は支えてくれようとする君がいたじゃないか)
かすかに残った視界の中で、場違いなほど鮮やかな桃色の花びらが舞うのが見えた。
「嘘だろっ?」
「……っ?!」
隣にいたツナが驚きに声を上げるのと、突如感じた嫌な予感に俺が息を呑んだのは同時だった。
決して、リボーンの言葉に心を揺さぶられたのではない。そして同様に、ツナがのぞきこんでいる喧嘩ランキングのせいでもない。
まさしく虫の知らせという理由なき予感だった。すこしずつ背中が冷えて行く。
「、俺獄寺君の所に行ってくる!」
「……っツナ、待て俺も行く」
ただ突っ立っているのが一番つらい。体を動かさなければ、この言いも知れぬ恐怖で叫びだしそうだった。
リボーンはどうやら俺が襲撃の目的を知っても驚かなかったのを観察していたらしく、静かな瞳でこちらを見ていたが、雲雀のところに行くのでなければ止めないらしい。
その視線を振り切るようにして、既に走り出しているツナを追った。
派手な音を立て、どこかで窓が割れている。その音の方向を必死で探ると、空に向かって立ち上る煙が見えた。
「、あの煙……!」
「ああ、急ぐぞ」
平和な商店街にあってはならない黒煙に、ツナがひきつったような声を上げた。
異常事態を察しているのか、ほとんど人がいない商店街の大通りを駆け抜けて、獄寺の姿を探す。
わずかな記憶を頼りにまっすぐに商店街目指して走ってきてしまったが、それでも間に合う気がしない。
とにかく早く、一秒でも早く、そう思って横目で裏路地を確認した瞬間。
「いた!獄寺!!」
「てめ・・・・・・10代目も!」
宙に舞う無数のダイナマイトと、それを投げたであろうふらふらの獄寺。そしてその向かいに座り込んでいる誰か。
しかしそれを視認した瞬間起きた強い爆発に反射的に目を閉じた。
「わぷっ」
ツナの悲鳴を聞きながら、一瞬確認した姿が誰なのかを結びつける。眼鏡にニット帽。血で汚れてはいたが、その緑色の制服は間違いなく黒曜中。
(柿本千種……!)
昨日ファミレスで見たばかりだ。見間違いじゃないだろう。となれば、やはり獄寺は柿本と戦闘中だったのだ。
爆風で舞い上がるほこりやコンクリートの破片から庇いつつ、薄く目をあける。
駆け寄ってきた獄寺がツナにむかって自分の手柄を報告する声が聞こえたが、それよりも俺はむしろそのむこうの人影に目を奪われていた。
「今ケリついたところっすから!」
「まだだ……」
なんとか喉の奥から掠れた声を出す。目は離せないままで、後ろの2人に手を伸ばす。
「まだ終わってない!獄寺!」
「……おまえは……」
2人よりも柿本に近い位置で、俺は柿本が立ち上がるのを見ていた。もうぼろぼろの体で、あちこちから血を流しているくせに、まだ立ち上がる姿を。
戦慄を感じながら叫んだ声に、柿本がこちらを向いた。なにやら口元が動いたが、その内容は俺の耳には届かず、俺は獄寺とツナに注意を促すことに意識を向けていた。
背後で獄寺が慌ててダイナマイトを出そうとするのがわかったが、なにしろ相手は手先を軽く動かすだけでヨーヨーを飛ばせる。
まるでツナの家に暗殺者が来たときの再現のようだが、今はツナと獄寺が俺の後ろにいる。
柿本と2人をつなぐ直線状に俺がいれば、ひとまず一発目から2人が攻撃されることはないだろう。
「!」
ツナが俺を呼ぶ声を聞きながら、二人に伸ばした手とは逆の手で腰を探る。家に帰る暇はないだろうと持ってきていたものが、こんな場面で必要になるとは。
(俺が真正面から挑んでも勝てるとは思えねえし、ただ防いでくれればそれでいい!)
なぜだかわからないが俺が短剣を取り出すまでの時間柿本は手を動かことはなく、俺が短剣を体を庇うように平行に構えたところでようやく相手の腕が動いた。
雲雀との闘りあいでも確認した俺の目で、相手の針の射出方向を見て短剣で弾く。もし俺にそんなことができれば神業の域だが、もはや一か八かの賭けだ。
そうして全身の神経を相手のヨーヨーに集中させた瞬間、声が飛んできた。
「どけ!」
「っ?!」
右肩を強く押されて体勢を崩す。振り向くことさえできず、何が起きたのかわからないまま受け身も取れずに地面と衝突した。
打った肩を痛いと感じる間もなく再度柿本を吹き飛ばした爆風に交じって、ツナの悲痛な叫び声が響いた。
「―――獄寺くん!!!」