風惑リアリティ 二十九話 無言は時に非情です
「委員長、帰っていらしたんですか」
「ああ、少し資料を探しにね」
並中周辺を軽く見回りして応接室に戻ってきた草壁は、いつの間にやら戻ってきていたらしい部屋の主の姿に驚いていた。
つい先ほど後輩に所在を聞かれ、病院にいるだろうと答えたばかりだったというのもある。
「院長にも僕に直接連絡するように言っておいたけど、草壁の所に新しい被害者の情報は来てないね?」
「へい。おそらく委員長が知っている情報が最新のものかと」
満足そうに頷く雲雀はどうやら目的の資料に目を通したらしく、席を立って部屋を出ようとする。
それを見て進行方向を妨げないように扉の前を譲り頭を下げる草壁の隣で、雲雀が立ち止まった。
「ねえ。被害者の中にの……の名前は入ってないよね?」
事務的な確認ではない。
雲雀にはらしくない感情を乗せた物言いに、草壁は一瞬目を見開き、それから口を開いた。
「入っていません」
「……だよね」
そこで初めて、草壁はに頼まれた言伝を思い出した。頼まれた、とはいえ、元よりこの忙しい中で伝える気はなかった。
この襲撃事件のことを知ってすらいなかったが、有用な情報を雲雀に与えるとは思えない。
「もう一度この辺りの見回りをしてくる」
「わかりました」
開け放たれたままのドアの向こうに消える影を見送って、なぜか胸の内をよぎる嫌な予感に顔をしかめた。
自分はあの人の部下として、正しいことをしたまでだ。に対して済まなく思うようなことはあっても、この事件に決定的な違いを生むなんてことがあるはずはないと。
(考えすぎだろう)
無言は時に非情です
「あれ、!なんでここに」
「ツナ?なんでお前が……」
以前来た時より格段に慌ただしさを増している病院のロビーに走ってくるツナの姿に、腰かけていた長椅子から立ち上がる。
「ここに京子ちゃんのお兄さんが運ばれたって聞いて……雲雀さんに」
「雲雀に?!」
突然大声を出した俺に驚いたようにびく、と震え、それからツナは言葉をつなげた。
「う、うん。学校行く途中で会って・・・・・・」
(どうして……草壁さんに会ってないのか?)
考えてながら、言われた内容に気付く。笹川の兄貴―――了平がここに運ばれた?
「笹川の兄貴も襲われたのか」
「、やっぱりお兄さんも、噂になってる例の奴らに襲われたのかな」
恐怖を目に浮かべるツナに、そうだ、と断言するのは躊躇われた。きっとリボーンには知らされるのだろうが、俺がここでそれを認めて言い切るのは不自然だ。
そしてなにより―――ツナを探すための一つの手段として知人が襲われたなどと知れば間違いなくツナはショックを受けるだろう。
「……そうかも、しれないな」
責任転嫁に違いはないが、言葉を濁すことを選ぶ。うまくツナと視線を合わせることができず、そんな俺をみてツナが不思議そうな顔をした。
「?どうし―――」
「見舞い、行くんだろ?何号室か聞いてくる」
追及を逃れるために、受付へと向かう。俺は了平と親しくはないが、せめて病室の外で事情を聞かせてもらおう。そう理由付けをしながら、背中に感じるツナの視線に胸が痛むのを感じていた。
「では委員長の姿が見えないのだな」
「ええ、いつものように」
おそらく敵の尻尾をつかんだのでしょう、と続ける部下に頷いて病院のロビーを見渡す。委員長が犯人逮捕に赴けば、この事件は間もなく解決に向かうだろう。それならこちらは安心していい。
もしもが病院にまだ居るのなら、もうここには委員長が来ないことを言っておかなければ、そう思いながらその姿を探す。
「草壁さん?」
どうやら相手が見つけるほうが早かったらしい。廊下の奥から現れたの姿に、苦笑しながら歩み寄る。
「委員長のことなんだがな、もう襲撃犯の確保に向かったらしい」
「もう?!……草壁さん、俺が探してるって、伝えては……」
「悪いな。委員長も忙しいからな」
悔しそうに顔を歪めるに、そこまで伝えたいことがあったのだろうかと、首を傾げる。
「くそ、あいつが行く前じゃないと意味がないってのに……!」
雲雀が犯人の確保に向かうのを知っていたらしいその言葉が、違和感を生んだ。
てっきりが伝えたいのはこの一件とは関係ない用件だと思っていたのに、もしかしたら違うのだろうかと。
「おい、それはどういう意味だ」
「すみません草壁さん、俺雲雀を追いかけないと」
「待て、」
問いかけを振り払うように走り出そうとするを止めたのは、スーツを着た赤ん坊の姿だった。
赤ん坊にはけして似つかわしくない黒のスーツに、不吉な予感がもう一度草壁の頭を掠めていく。
それは応接室で感じた嫌な予感と、源を同じくするものだった。そしてその予感は自身を、病院の外へと向かわせた。
「なんだよリボーン」
目の前に立ちはだかる赤ん坊の、小さな姿に似合わぬ威圧感に焦りが沸く。
「お前一人でどこに向かうつもりだ」
「話聞いてたんだろ?雲雀のところに」
「お前が、一人で?」
問いを繰り返されて、ぐっと詰まる。確かに、バイクで向かったであろう雲雀を今から追いかけたところで追いつくのは難しい。
それでいて、そう。もし雲雀が乗り込む前に追いつけなかった場合、俺は敵の本拠地に単身乗り込むことになるのだ。
普通に考えて総大将にたどり着く前に黒曜生にぼこられて終わりな気がする。しかももし脱獄囚組が出てきたら、生きていられるかどうかも危うい。
「それでも」
「頭を冷やせ。そもそも本拠地の場所すら知らね―くせに。今からツナと話がある、お前も来い」
答えを待たず病院の奥へと進むリボーンを振り切って進むことだってできた。けれどそんな俺を押しとどめ、リボーンの後を付いていくことを選ばせたのは、おそらく。
(怖い、な)
自分の力でどうにかできるかわからない、この圧倒的で理不尽な暴力を目の前にして恐怖が胸を掠めなかったかといえば嘘になる。
しかしそれだけならきっと俺は一人でも雲雀のもとへ向かっていた。それより、なによりきっと追いついた雲雀にはっきりと、邪魔だと言われてしまうのではないかと。
そんな考えが生まれたからだ。
―――俺は忘れていたんだ。桜の木の下で、雲雀に言われたことを。
あの言葉を思い出せたら、それは俺に絶大な行動力をもたらしていただろう。
『僕は僕の好きなようにする。できるものなら必死で僕を止めて見せればいい』