風惑リアリティ 二十七話 招かれざる客、文字通り


「おはよーございまーす」
バイト先に着いてすぐ入った控室で、朝だろうが昼だろうが変わらない儀礼的な挨拶の言葉を口にする。
今夜は雨が降るかもしれないと聞いたから持ってきた傘を壁に立てかけ、そこで初めて顔を上げた。
「おうわっ!!」
くーん……」
「店長近い!顔近いですよどうしたんすか!」
そこには控室にいることは滅多にない店長がなぜかものすごく暗い表情、それに猫背気味に背を丸めて立っていて、まさかそんな入り口近くに人がいると思わなかった俺はものすごく接近してしまってから顔を上げたのだ。
それにしても、昨年の冬に前の店長と交代で配属されてきたこの店長は普段人好きのする笑みを浮かべていて、とても明るいいい人のはずなのに今日はいったいどうしたというのだろう。
なかなか呼びかけから次の言葉を続けようとしない店長の様子に、良くない想像が頭の中を駆け巡った。
(まさか免許証の住所がおかしいことがばれたか……?!それとも戸籍とか)
突然、がし、と肩を掴まれて、小さく上げそうになった悲鳴を慌てて飲み込む。そしてその後すぐ。
「ごめん!もう頼れるのは君しかいないんだ!」
「……は?」



招かれざる客、文字通り



「いらっしゃいませ、お客様、何名様でしょうか?」
笑顔で応対しながら、内心ではらはらしていた。
(何のためにキッチン志望したんだ俺……)
つまるところ、今日は人手不足らしい。入っている人数はいつもと変わらないが、客の人数に変わりがあるのだ。
店長いわく今日は近くの小学校でPTAの集まりがあるらしく、ほとんどの参加者が帰りがけに軽食を取りにこのファミレスへ来るというのだ。 それを前の店長のつけていた日誌で確認しなければならなかったのを、どうやらうっかり忘れたらしい。
よってちょうど昼と夜の間のこの時間、バイトも少ないこの時間にお母様方がわんさかやってくるとなれば人手不足も必至である。
そして、なんとか調整しようと今日になってバイト組に連絡を取ってみたのだが結局集められたのは厨房スタッフ二人。
ホール担当が足りず、頭を抱えていたところで俺のことを思い出したらしい。
(確かにレジ経験も接客経験もないわけじゃねえけど)
高校の時、親戚の店で小遣い稼ぎをしていたため、どちらも経験済みだが、俺以外にもそういう奴がここにはいるに違いない。
この間うっかりその話を店長にしたのが不味かった。いや、こんな結果になると分かっていれば絶対にしなかった。
つまり俺は、今日だけ臨時のホール要員として働くことになったのだ。
並盛中関係者にバイトしているのを見られたくないというのに。
注文を取る時の機械の扱い方だけは何度も聞いて、不慣れながらも対応をしているがいつ失敗をしてしまうかと思うと不安でしょうがない。
君34番テーブルのオーダー採ってきて!」
「はいっ」
客からは見えていないだろうが、厨房の中は押し寄せるオーダーにてんてこ舞いだ。本来あそこにいたのだと思うとそれはそれで恐ろしい。
今日のバイト代に30分につき100円上乗せしてくれるという店長の言葉を支えに、既に何度も往復しているホールへと向かった。


「お待たせしました。ご注文をどうぞ」
「あーオレねーこれ。この肉」
「あ、はい150gサーロインステーキの温野菜サラダセットですね」
「……これ」
「きのことチーズのリゾットでよろしいですか?」
どうしてこの客達は全く料理名を言わないのだろう。指で示す料理の名前を確認するが、聞いていないのか反応がない。
判断材料に表情を窺おうとして、そこでやっと客の顔をまじまじと見て、
「おや、もうウェイターが来ていましたか」
「……っ!!」
確認した顔と背後からの声に、心臓を流れる血が凍るような思いがした。おそるおそる振り返ると、隣町にある黒曜中の制服の襟元と俺より背の高いそいつの笑っている口元が見えた。
「……?」
なかなかそいつの前から退こうとしない俺を不審に思ったのか、そいつは少し首を傾げた。慌てて頭を下げる。
「す、すいません失礼しました」
「どうも」
固まってしまっている足をなんとか引きずるように動かして、席に座ろうとするそいつの前をあける。
何事もなかったように座り、メニューを開くそいつの髪形は―――
「ボロネーゼとカンパーニュ」
「……かしこまり、ました」
ジグザグの分け目と、とても特徴的なまるでパイナップルを思わせるような纏め方をした後ろ髪。


なんとか表面だけの平静を装ってホールから戻ってきた俺は、糸が切れたようにその場にへたり込んだ。
一人だけならまだしも、三人が揃っている。間違えようもない。
「六道、骸と、部下。あいつらが、なんでここに」
切れ切れに呟いて、動悸を抑えようと胸に手を当てるが、体中に響く音はなかなかその周期を長くしてくれることはなく、細かく震える手で強く抑え込んだ。


君、レジお願い!」
「はいっ」
なるべく骸たちのいるテーブルに近づかないようにしつつ、まさかこの場で暴れたりしないだろうと自分で自分に信じ込ませているうちに段々落ち着いてきた。
マンガの時間経過はわからないが、骸たちが攻めてくるような時期になってしまったということだろうか。
しかしもうマンガを読んだ時の知識はほとんど残っていない。思い出そうと思っても、断片的なコマばかりで話が思い出せない。
そのもやもやを抱えたままレジに向かい、レジ台の向こうに立っている人物を見て眩暈がした。
(どうしてこういう時ばっか運わりいんだよ……!)
伝票を持って立っているのは黒曜中生徒三人組。しかしここで立ち止まって他のバイトを呼びに行くのは不自然だ。
下手に目をつけられても困る、穏便に済ませてしまおう。
そう、レジ打ちなんて一瞬だ――――
(で、なんでこいつは金を出さないんだよ!!)
伝票を渡されて、自分は他の客に対してと何も変わらないように対応したはずだ。
しかし相手に金額を伝えても、全く財布を出す素振りがない。この気まずい沈黙は何なんだ。もう金髪とメガネは出口に向かっているし。
そのまま2人が出て行ったあと、なんと骸まで踵を返したものだから、俺は思わず大声で背中に向かって呼びかけた。
「あの、お客様!」
「はい?」
そうしてなぜ不思議そうに振り返るのだ。これはあれか。不良だから払わないけどいいよね?答えは聞いてない!という状況なのだろうか。
俺の今日のバイト代がパーになりそうな金額を俺が代わりに払わなければならないのか。
「お、お会計。まだお済みでないですよ、ね……」
言った。言ってしまったけれどそこでまたなぜ目を見開くんだ六道骸!名前は合っていたと思うが六道骸!
金を払うのか払わないのかせめて口で言っていけと思うのはあまりに無謀だろうか。
けれどそんな葛藤を無視するように、骸はこちらに向き直ってさらりとこう言った。
「……ああ、すみません。ぼんやりしていました」
「……へ?」
まるで何事もなかったかのように財布を取り出して5千円札を置き、俺の対応を待っているらしいその様子に、あたふたとレジを打ってお釣りを渡す。
レシートともに小銭を受取って、先に行った2人の後を追う。あまりに自然な、しかし不自然なそれに彼を呆然と見送って、それから声をかけた。
「ありがとうございました……」




ファミレスの扉を開けて出てきた男に、連れらしい2人の男のうち金髪の男が声をかけた。
「骸さーん、遅かったじゃないれすか。なにかあったんすかー?」
「いえ、ちょっと面白いことが起きましてね」
「面白いこと、ですか」
腕組みをして考え込む様子の男の手に、財布が握られているのに気づいたらしくニット帽を被った男が口を開く。
「骸様、会計済ませてきたんですか」
眼鏡を押し上げながらの、珍しい、という言葉には、まるで会計を済ませないのが常という響きが含まれている。
「ええ。なぜか……通じなくて、ね」
口元に手を当てて、口端を吊り上げた男の笑みはファミレスの中で浮かべていたそれとは違う、周りを恐怖させるようなそれだった。
「クフフ、ボンゴレ10代目の偵察に来たのですが。思わぬ拾いもの、でしょうか。いいえ、不確定要素ですかね」


/←Back / Next→/