風惑リアリティ 二十六話 真っ黒なのは夜の闇か、この先か
ああ、今日も天気がいい。
いつもより空気が騒がしいのは、今夜あるという祭りの用意にはしゃぐ人々の気持ちが伝わってくるからだろうか。
(去年は見事にバイト被ったからな……)
夏休み中で深夜まで入れたバイトのため、祭りを覗くこともなくその日を終えてしまったのだ。
今年こそは行ってみるかと、午前中だけ入っていたバイトの帰り道で強い日差しにもめげずに歩いていたその時。
「やあ」
「げ」
夏の日に映える赤の腕章に、不吉なものを見た。特に集まりもない日に、わざわざ俺を訪ねてくるなんて何用だ。
「今日は何だ?雲雀」
「失礼な言い草だね。風紀委員だろ、君」
真っ黒なのは夜の闇か、この先か
なんでも並中風紀委員はこの夏祭りで毎年資金集めをしているらしい。
風紀委員の会計を預かる身としては、その資金集めに同行しなければならない。
「なんてな……ぜってえ真っ当なものじゃねえよ」
指定された時間に祭り会場である神社入口へ。そう雲雀に言われて、家から風紀委員の腕章を取ってきた。
一応、リボーンに改めて渡された短剣も持ってきている。ツナのためというより今回は自分の身の危険を感じたからなのだけれど。
腰に直接巻いたベルトに挟み、服の下に隠してはいるが、それでも感じるその重みと冷たさに顔をしかめた。
(……重い)
雲雀に言われたとおり、闘りあいの最中に甘いことを言っているのだろうなという自覚はあった。だけれど、簡単に捨て去れるような意地は持っていないのだ。
対人で拳ではなく武器を振るう覚悟はまだできていない。持つ理由はあっても、それに耐える覚悟を持っていないからこうして重く感じるんだろう。 短剣はそれだけでは人を傷つけないだろうけれど、扱う者がいれば即座にそれは武器になる。その無慈悲な殺傷能力が冷たいのかもしれない。
詰まっていた息を吐き出して、前を向く。見えた神社の長い参道に沿って灯った明かりが、まっすぐに先へと導いているように見えた。
「遅い」
「何言ってんだ、時間ぴったりだろ?」
鳥居の下で顔を合わせるなり文句を言う雲雀に、腕時計を確認しながら返す。すると雲雀は機嫌を損ねたように顔を背けた。
「10分前行動。常識じゃない」
「そんなこと言うの初めてじゃね?お前」
今まで呼び出されて時間に遅れたことはないが、早く行ったこともない。それでも何も言わなかったくせに、今日はなんだというのだ。
肩を落として、気分屋の雲雀の周りを見る。てっきり他の風紀委員も集まっていると思ったのに、近い所に学ランとリーゼントが見当たらなかった。
「今日風紀委員全体の集まりだろ?なんで他の委員いないんだ」
「君が遅いから、先に集金に行かせた。ほら、無駄口叩いてないで僕らも行くよ」
「?おう」
他の委員は俺よりも早く集まっていたらしい。強面のメンツに囲まれなかったのは幸いだが、俺はもともと集合時間を遅く伝えられていたということだろうか。
(なんだか知らないけど助かったぜ)
風紀委員の団体はそこらへんのごろつきよりむしろ怖い。短剣を持ってきたのはいらぬ心配だったかと、胸をなでおろした。
「それで、どうやって集金してるんだ?」
「ショバ代取るだけだけど」
こちらの予感は的中。真っ当じゃないとか、そんなことははなから無視しているらしく当たり前と言わんばかりの雲雀の声音に、俺は再度肩を落とした。
(帰りたい……)
おずおずと、雲雀にこの集金をやめられないのかと聞いてみたら、まるで俺のほうがおかしいというような顔をして、雲雀は答えた。
「なんでやめる必要があるのさ。毎年の決まり事なんだけど」
もう地元住民にも浸透しているらしく、雲雀が屋台を訪ねて一言告げるだけであらかじめ用意してあったらしい金が出てくるのに仰天した。
きりきりと痛む胃を抑えて、俺もそれ以上詳しく聞くのをやめた。
(これから帳簿つけるたびにこの事思い出して胃が痛むのか……)
雲雀に渡された出店屋台のリストに印をつけながら、屋台の並ぶ参道を歩く。
雲雀がいつものいでたちで俺の半歩前を歩くためか前にはほとんど人が居らず、恐れ慄く人々の視線が俺にも向けられてかなり居心地が悪い。 早く終わってしまえば、この腕につけた腕章からもこのいたたまれなさからも解放されるだろうか。
そう思いながら歩いていた時、立ちならぶ屋台の一つに見知った顔があるのに気づいた。
「ツナ!」
「あれ、」
駆け寄ると、どうやら相手も気づいてくれたらしく、笑顔で呼びかけに答えてくれた。
「なんだよお前店やるなら言えよなー」
「俺もここに来るまでそのつもりじゃなかったんだけどね……」
苦笑いをして店の中を見やるツナの視線を追う。バナナに塗るチョコの溶かし具合を見ている獄寺と客の対応をする山本がそこにはいたけれど、どういうことかはわからない。
「なんか、大変だったのか」
「あはは、いろいろあってね。それより、お祭り見に来たの?」
「えっ」
今度はこちらが答えに詰まる。そしツナの肩を掴んで、必死に伝えた。
「悪いこと言わないからツナ今のうちに5万用意しとけ、地獄を見たくないだろ」
「何言ってんの!?」
驚くツナの正面、俺の背後で派手な音がした。
おそるおそる振り返ると、つい先ほどまで立っていた屋台の一つが見るも無残に壊れている。
その原因であろう店主と学ランの人影―――おそらく別の行動班だろう―――にツナも気がついたらしい。はっ、と俺の腕の腕章に視線を落として、震えながらまさか、と呟いた。
「、まさか今日って」
「……その、まさか。今日は風紀の方で来たんだ」
「そう、集金に来たんだよ、ショバ代5万、払えるね」
ツナを見つけて走ってきてしまったが、後方に残してきた雲雀が追いついたらしい。いきなりすぐ近くで聞こえた雲雀の声に固まった。
「ひ、雲雀」
「雲雀さんまでいるの?!てかショバ代払うの?!」
あたふたしているツナの後ろで獄寺が雲雀を見ていきり立っていたが、どうやらショバ代のことは知っていたらしく、すぐに5枚の紙幣が出てきた。 中学生がやっている屋台なのにと、痛む頭を押さえながらそれを受け取りリストに印をつけていると、注意された。
「君が勝手にいなくなった間に、こことここ、終わったから」
「あ、悪い」
指で示されたところをチェックして、ツナに向き直る。
「ごめんな、これ全部終わったらまた来る」
「あ、……うん」
「ほら、次行くよ」
急かすような雲雀の声に、3人それぞれにもう一言かけてからツナたちの屋台を離れた。
ツナたちが来ているなら、やはり早く終わらせて合流したい。一人で祭りを見て歩くより、きっと一緒のほうが楽しいだろう。
そう考えて、少し頬が緩んだ。やはりこの祭りの雰囲気は人を楽しくさせる。隣にいる雲雀がこちらを見ているのに気がついて、ふと思いついたことを口にする。
「お前もさ、誰かと回ったら楽しいかもしれないぞ?祭りだし」
「……別に。いい」
そういえば群れるのは論外だった。地雷を踏んだことに気づいて、それ以上続けるのをやめた。
「よっし、これで俺たちの担当分は終わりだな」
「まだ他の班が回収したのを集計してないけど」
俺が渡したリストに目を落としながらの雲雀の一言にええ、と異論の声を上げる。
「明日でいいじゃんかー、だって他の班終わってないかもしれないんだろ」
実際はツナのところに早く行きたいがためだ。そんな俺の心を見透かしたように雲雀はため息をついた。
「呆れた。そんなにあの草食動物たちのところに行きたいわけ」
「う」
図星をさされて視線をそむけた。しかし雲雀は俺にひらひらと手を振って、さっさと行けというように促した。
「さんきゅー雲雀!助かる!」
「早く行きなよ」
口を尖らせた雲雀に大きく手を振って、ツナたちの店へと急ぐ。いくらか小銭を持ってきたから、まずツナたちのチョコバナナを買って、と考えながら足を速めた。
もうすぐだ、そう思ったとき、人をかき分けて進む俺の横を猛スピードで走っていく人影にすれ違った。
「な、なんだ?」
祭りの人ごみをあんな風に走るなんて危ないじゃないか、走り抜けた人影を振り返りそう内心で愚痴をこぼしたとき、悲鳴が聞こえた。
「ひったくりだああ!誰か捕まえてええ!」
「っツナ!?」
背後、もと向かっていた方向から聞こえた声は聞き覚えのあるそれで。
叫びながらこちらに向かってくるのは間違いなくツナだった。
「あいつひったくりなのか!?」
「?!お願いあの人捕まえて!!」
やっと互いを確認し、ツナの返事を聞いてようやく俺も踵を返して走り始めた。
とはいってもこんな人ごみの中だ、相手は人にぶつかりながらもやたら早く、人を避けている俺はツナより少し早いくらいで離されないようにするのが精一杯だった。
(くそっ!これじゃ追いつけねえ)
必死に追いかけながら、段々人のいない方向へと誘い込まれているように感じて舌打ちした。
(もしかしたら、このひったくり―――)
おかしいのだ。ひったくりが逃げるなら人ごみへ逃げたほうが紛れやすくて良いに決まっている。
このひったくり犯には何かほかの狙いがあるのではないかと、祭りの開催地に指定されていないはずの境内への階段を二段抜きで駆け上がりながら後方のツナのことを考えた。
人がいなくなって少し距離を縮めた、その勢いのまま階段を登り切る。
その瞬間俺は急ブレーキをかけて足を止めた。開けた視界には追ってきたひったくり犯と、その仲間と思われる若い男が5,60人。
「なんだぁ?違うガキが釣れたじゃねえか」
「兄貴の狙いの奴もすぐ来ますよ、へへ」
この集団のリーダーだろうか、前に進み出たそいつの顔にはかなり大きなガーゼと痣。金髪と日焼けした肌のそいつを睨みつけながら、聞こえた会話を探る。
(狙いの奴……まさか)
「はあ、っごめんたすか……っ?!」
息を切らしながらもようやく追いついたらしいツナが目をみはる。どうやら面識があるらしい。
「ライフセーバーのセンパイ?!」
「なんだ、知り合いか?」
会いたくない部類の知り合いだということはツナの表情からよくわかった。後ろにツナを庇うようにして立ち、相手の出方を待つ。
「おうよ、お前に殴られたこの顔の落とし前、付けさせてもらうぜえ!!」
がなり声に合わせるように周囲の男たちが手に武器を取る。それを確認して、腰の短剣に手を伸ばそうとして―――手が止まる。
相手は丸腰じゃない。あのときと同じなら、ツナを守るために俺も武器を取るしかない。
(―――くそ)
それでも迷う手は、いったいどうすればいいのだ。指先が震えるのに気づいて、固く握りしめる。
「、どうしよう」
「ツナ……」
後ろで震えるツナはしかし俺にしがみついたりはしない。いっそ頼り切ってくれれば、踏ん切りがつけられるかも知れないのに。
(いや、責任転嫁だ。そんなの)
「ぎゃあっ!」
「なんだあ?」
思考をさえぎるように聞こえた悲鳴の発信源を見ると、そこには先ほど別れたばかりの雲雀がトンファーを手につけて立っていた。
「うまそうな群れを見つけたと思ったら、追跡中のひったくり犯を大量確保。ワオ、退屈しのぎにちょうどいいね」
「雲雀!」
目が合った瞬間、笑っていた雲雀は確認するように俺の手を見た。すぐに視線を上げて、鋭くした眼光が何かを言っている―――わかりきっているのだ。
「どうして短剣を手にしていないの?」
と、誘うような声が聞こえた気がして、背筋が冷えた。見せてもいないのに、どうして今俺が短剣を持っていることを知っているんだ。
「並中の風紀委員か!」
「よく見ればあいつも腕章してるぞ」
ざわざわと声を上げる集団にすぐに視線を戻して、雲雀は挑むように声を張り上げた。
「集金の手間が省ける。君たちがひったくった金は風紀がいただくよ」
「あの人またあんなこと言ってるうう」
頭を抱えて鳴き声を上げるツナに頭だけで振り返って、口端を持ち上げて安心させるように言った。
「ツナがひったくられた金だけでもなんとかするから。下がってろ」
「え……、危ないよ!」
図らずも振り返ったのは左側からで、ツナに向かって風紀の腕章を突き出すようになってしまったことに苦笑しつつ、シャツを払って腰の短剣を取り出した。
やはり右手に順手、左手に逆手で構え、重心を落として一度ゆっくり息を吐く。そうしてから息を止め、短く吸って声を張り上げた。
「行くぞ、覚悟しやがれ!」
咄嗟に述べた口上に半端な覚悟の自分への叱咤が含まれているようで、苦い思いが胸に広がった。
「ほら、ツナたちのだろ、この箱」
「ありがと、」
結局途中で現れた獄寺と山本も加勢に加わり、リボーンに死ぬ気弾を打たれたツナも参戦したことで乱戦は短時間で収束した。
残った何人かは散り散りになって逃げ、ひったくられた金はその場に残されていたこともあって追うことはなかった。
軽く感じる体を利用して、雲雀より格段に運動能力の劣るやつらの手にある武器を短剣で叩き落とし続けざまに蹴り倒していただけの俺は、おそらく居ても居なくてもいいようなメンバーだっただろう。
俺より生傷の多いツナに屋台の売り上げが入っているのだろう箱を手渡して、その場に座り込む。
すでに短剣は服の下に戻してあるが、手から離した途端全身に疲労が襲ってきて、立っているのが辛くなったのだ。
「、リボーンにもらった短剣使ってるんだ」
「あ?ああ」
腰を見ながら呟かれた言葉に、頷く。悲しいのか、驚いているのかよくわからないような顔をして、ツナが俯いた。
それから思い直したように顔をあげて、笑って続けた。
「これから花火だし、俺達ここ降りるけど、も来るよね?」
「・・・・・・悪い。ちょっと疲れたから少ししたら行くわ」
座り込んでしまったら、逆に立ち上がるのもできなくなってしまった。それは気取られぬように笑顔を作って返す。
「じゃあ先行ってるね」
獄寺と山本もこちらを見たが、ツナが説明したらしくすぐに階段を下りて行った。その姿が見えなくなるのを確認して、目をつぶる。
もしかしたらこのおかしな疲労は、短剣に関係があるのかもしれない。この間長い時間眠り込んだのも、そのせいだとすれば―――推測の域を出ないが、リボーンに聞いてみるのもいいかもしれない。
「君は残ったの?」
「雲雀」
とっくのとうに姿を消していたものだとばかり思っていた雲雀が横に立っていた。どうやらひったくり達の金を集め終わったらしい。
「そういえばお前、何で俺が今日短剣持ってんの知ってたんだ?」
「歩き方を見ていたら腰に何かつけてるのはわかるよ」
そういうものなのかと、納得しそうになって慌ててかぶりを振った。雲雀だから為し得たことだろう。
「あの様子じゃ、まだ結論は出てないみたいだね」
「…………」
押し黙ったまま、顔を上げずに、遠くにちらほらと見える町の明かりを眺めていた。
「まあ、あれからは初めて使ったんだろう。僕は答えを急かすつもりはないけど」
「わかってるよ。お前が来なかったらどうなってたかわからない」
半端な覚悟ならしないも同じだ。薄く瞼をおろして、開いた掌を見下ろす。守れない手でいたくないからこそ、受け取った短剣だ。
武器を持った相手に躊躇するようではいけない、守るために戦うことを選んだなら、武器で戦うことを覚悟しろ。
(理解はできる。理解だけなら)
再び感じた焦燥感に、視界がゆがんだ。その夜の闇を裂くように飛んだ花火が、心臓に響くような音を立てて咲いた。
上手く見えないその煌めきに手を伸ばした。
「ありがとう、雲雀」
「……こうして見ると、花火もいいかもね」
はぐらかしているのかもしれない。思わず小さく吹き出すと、拍子に水滴が頬を伝って落ちて行った。