風惑リアリティ 二十五話 今は見えない空の色に、きっと星が彩りを
さっきまで、存在を主張していたのはその文字盤が差す時刻であって2本の針の位置にしか興味はなかったはずだ。
ちく、たく、と一番小さな時を刻む秒針なんて眼にも映らず、意識の隅にすらいなかったのに。
今はその音の隙間さえ、ゆっくりに感じられるほどに沈黙が痛い。 合わせてしまった視線をそらすこともできず、雲雀を見たままで固まった俺の首をただ飲み込んだ唾が通る音さえ大きく響いたように思えた。
(あ、)
まずい。背筋を伝う冷や汗を感じながら、俺はあの秋の日、見上げた空の色を思い出していた。
今は見えない空の色に、きっと星が彩りを
『君は何者なんだい、答えなよ』
頭に反響するこの雲雀の声は今のものじゃない。前に一度校舎裏で問い詰められた時の、断罪者のような顔をしていた雲雀が俺に告げた言葉だ。
その問いに、諦めを含んだ声で俺は、この世界の人間じゃないと答えたはずだ。
(気が済んだのかと思ってた。その後また聞かれることもなかったしな)
頭がおかしいと思って興味を失ったのかと思っていたら、そうでもなかったらしいとはもう雪の日に聞いた。
考えてみれば、そんな素性の怪しい人間を雲雀が近くに置くこと自体、おかしいのだ。
少なくとも漫画で読んだ雲雀恭弥というキャラクターはそうだった。そしてここに来てから知った雲雀という人間も、ツナのように誰でも周りに置くことをよしとしない。
なのに今俺の目の前にいて、自分のパーソナルスペースで私服を身に着けまっすぐに俺を見ているのは、その雲雀なのだ。
喉が震えて、変な息を吐き出した。緊張なのか、それとも焦りなのか。
わかるのは、ここにいる雲雀の表情があの空の下見た断罪者のような顔ではなく、訴えを聞き出そうとしている弁護人のようにどこか苦しそうだということ。
同じ顔なのに、浮かべた表情は全く違う。
「答えたくないなら、べつに」
「いや、待てよ」
長い沈黙を何ととったか、雲雀が表情を変えないまま切り出そうとした言葉を遮る。
咄嗟に出た一言だ。言ってから、かなりの間をあけて、言葉を紡ぐ。
「何が、聞きたい?」
「いいのかい」
目だけを少し大きく開いて、雲雀が聞き返すのに頷く。
変わらず心臓は早鐘のように鼓動を打ち続けていて、全身にその振動が伝わるようだ。
けれど、問い詰められるのとは違う。俺の、自分の意志で話すのだ。
「君がここの人間じゃない、って言っていたね」
「ああ」
並盛とかそういう問題ではないのだけれど、雲雀のいうここ、というのがひどく限定された場所に思われるのはどうしてだろう。
「元居たところは?」
「日本だ。ここでは俺が住んでたとこの地名とかはないみたいだけどな。よくSFでいうところのパラレルワールド?みたいなもんだと考えていいと思う」
ゲームのようなファンタジーでなかっただけ良しとするべきなのだろうか。ただ、物騒さ加減は比べても意味がないだろうが。
「そこからいつ、ここに来たのさ」
「去年の4月、入学式の日だな。あっちでも大学の初登校日だった」
カレンダーの日付が一致していたのを思い出す。そういえば、杉原さんにも相談したがあちらの大学は今休学扱いになっているのだろうか。学費のことを考えると申し訳ない――ーなぜか杉原さんは大丈夫だろうと言っていたが。
(杉原さんのあの無根拠な自信も気になるよなあ)
「……大学?」
「……あ」
静かな問いかけに、反射で母音が漏れた。馬鹿のようにあは、はっはっはっと無意味な笑いを繰り返して。
そこが自宅だったら床の上でのたうちまわっていただろうと思う。
こちらを眺める冷めた雲雀の目が恐ろしい。
「年齢詐称……」
「ちっが!いや違わねえけど!」
必死に当日の状況を話すが、雲雀の目に温度が戻らない。脳内で、わーい、並盛中退学だー、と叫んで草原を走り抜けた。
「まあいい、それで君のバイトの謎も解ける。あと住居もね」
「え」
「君が前に言ってただろう。家賃がどうのこうのって。あれは並盛じゃおかしいんだよ。だって僕並盛の不動産も把握してるから」
ため息交じりにそう言う雲雀の言葉は信じがたい。それにしてもしがない市立中学の風紀委員長が一つの町の不動産事業を掌握しているとはどういうことだ。
改めてこの町の不可解なところに気づいて頭を抱えたくなる。
「あくまでただの中学生に無断で貸すようなマンションの、しかも相場を引き下げる管理人なんて並盛にはいない」
獄寺のことが頭をよぎったが、あえて突っ込んだりはしない。裏のやり取りなんて想像するのも恐ろしい。
(あくまでただの、って強調してるところがまた怖えよ)
「君の話を聞いてから調べてみても該当するようなものは出ない。なにかあるだろうとは思っていたけど」
「う」
じと目でこちらを見る雲雀の次の言葉が簡単に予想できる。だからぽつりと、告げた。
「この間の誕生日で二十歳になった」
「二十歳、ね」
言って、恥ずかしさに顔をしかめた。もう二十歳だ。中学生をやっているなんて、はたから見たら寒いことこの上ない。
「そうは見えないけど。童顔?」
「わっるかったな!!昔っから年相応に見られないんだよ!」
しかし他人に言われると傷つく。―――ああ、元の生活に戻りたい。
そう思ったとき、威勢の削がれていた雲雀の目に力が戻る。ぎく、として背筋を正した。
「君はさ、どうしてここにいるの」
「だ、から。部屋ごとここに飛ばされたって言って」
「違うよ」
ぴしゃり、と俺の言葉を遮る否定の言葉に、口をつぐむ。必要ない答えを返すなと言わんばかりの気迫だ。
「君は、帰れるようになったら。喜び勇んで飛んで帰って、きれいさっぱりここのことを忘れるわけ」
言葉を失う。責めるような口調のそれは、勘違いでさえなければ少し拗ねたような響きさえ混じっていた。
「ここに居たい、なんて気持ちは無いわけだ」
「……それは」
言葉に詰まって、結局吐き出すことはできなかった。否定したい迷いもあった。けれどなにより、
(多分こいつが望んでるような答えは返せない、な)
そう、思ったからだ。この話を始めた時から外されていない視線が、初めてふつりと切れる。
俺ではなく、雲雀が断ち切ったのだ。ゆっくりと目を閉じて俯いたことで。
「もういいよ」
罪悪感があった。けれど嘘を言ったってどうしようもない。だから、その横顔に一言渡して、俺も視線を外す。
「まだ、わからない。帰れるまでに、変わるかもしれないし、な」
「……そう」
小さい声だったけれど、確かに言葉を返してくれたことにほっとした。
結局話はそこで打ち切られて気まずい雰囲気の中動こうとしない雲雀に、帰っていいかと聞いた。
横目でこちらを見た雲雀が何も言わずにまたそっぽを向いてしまったから、勝手にしろということなのかと思った。
そうして立ち上がったけれど、
(あの日もこいつ答えなくて、俺が先に帰ったんだったな)
校舎裏で背を向けた雲雀にやっぱり俺も背を向けて、その場を後にした。でももしかして、今なら。
息を吸い込んで、ゆっくりと吐く。そうして、意を決して問いかけた。
「……なあ、介抱してもらってなんなんだけどさ。まだ腹も痛えし、ついでに今日だけ泊めてもらえるとありがたいんだけど」
「……!、」
驚いたように雲雀が顔をあげた。そこに怒りの色がないことに安堵する。辛抱強く相手の言葉を待てば、だんだんときまり悪そうな顔をした雲雀がつぶやいた。
「好きにしたら」
「さんきゅ」
今の言葉が雲雀の最大限の譲歩なのだろう。わかる自分に苦笑して、もう一度そこに座りなおした。背中は痛いだろうが、家主のベッドを借りるわけにもいかないから、今日はここでごろ寝だろう。
あんなに忙しなかったのはどこへやら、もう心臓は安定したリズムを刻んでいて、現金なものだと思った。