風惑リアリティ 二十三話 迷いは死を導く
「それじゃ、模擬戦をしてもらおうか」
晴れ渡る青空に響く赤ん坊の声が、死刑宣告のように聞こえた。
迷いは死を導く
「勝負時間は無制限。が雲雀に獲物で一撃与えられたら、それでの勝ちだ。日が暮れるまでに一撃も与えられなかったら雲雀の勝ち」
「ワオ、わかりやすいね」
バイトのない休日。リボーンに学校に呼ばれて来てみれば、屋上で仁王立ちの雲雀と、行司の格好をしたリボーンが待っていた。そして、先の言葉である。
「はっはー……これ持ってこいとか言われた時点で何か気付くべきだったよな俺」
肩を落としつつ呟く俺の手の中には、冷たく輝いて存在を主張する短剣が二振りある。
先日ジャンニー二が来日した時に受け取ったものだ。
リボーンはこの短剣についていろいろと意味深なことを言っていたような気がするが、俺としては甚だ興味がない。
それに、いくら自分から受け取ったと言っても、凶器に変わりはないのだ。ツナの危険に備えて、とはいっても鞘すらないこれを普段から持ち歩いていたりしたらすぐさま危険人物認定が下る。
だから俺がこれを家から持ち出したことはなかった。 さらに言えばこんな凶器を持っているのが杉原さん辺りに見つかってしまったらと考えて、箪笥の奥にしまっていたのだ。
「それで?状況がよく飲み込めねーんだけど。なんで模擬戦なんかしなきゃいけないんだよ」
「お前の武器の特性を知っておきたくてな。お前にとってもいいチャンスだぞ」
特性を知ってどうしろというのだろうかこの赤ん坊―――もとい、マフィアのヒットマンであるリボーンは。
「君がそんなの持ってるなんて初めて知ったよ」
「昔から持ってたわけじゃねえよ!危ない奴みてえじゃねえか」
いくらか楽しそうな色を混ぜて言う雲雀に、慌てて言い返した。
しかし雲雀の手にはすでにトンファーが装着済みで、臨戦態勢が整っている。
冷や汗が噴き出すような嫌な感覚に、自分も持ちなれない短剣を構えた。持ち方という概念すらよくわからず、右手には順手、左手には逆手でそれぞれ短剣を握る。
「……お前、マジでやる気なの?」
「当たり前じゃない」
だれかこの戦闘マニアを止めてほしい。切にそう願った。久しぶりに戦闘を前にした雲雀の表情を見る限り、違和感だのを感じているような暇はない。
緊張で、それまでよりも強く握りしめる手に力が籠る。と、その瞬間―――
(……気のせいか?)
少し、体が軽くなったような感じがした。緊張で重いはずの体がなぜか、動かしやすくなったように思えたのだ。けれどその原因を探る暇も無く、リボーンの声が空気を割った。
「それじゃ、はじめろ」
「いくよ」
以前と変わりない速度で迫りくる雲雀を視界にとらえつつ、どうすればいいんだと頭を必死で働かせていた。
両手が短剣でふさがっているから、どうにもいつも通り動けない。さらに扱い慣れていない刃物をどう使えばいいのか見当がつかなかった。
そうこうしているうちに眼前まで迫った雲雀の、遠心力を多大に利用したトンファーが接近する。半ば自棄になりながら、左手を顔の前に突き出した。
ギィン、と音を立て、火花を散らしながらトンファーと短剣が激突する。必死に短剣を支えて、力負けする前に自分から後ろに跳んだ。
(今のでわかったのは……そう簡単にこいつは折れないってことと、一発程度なら俺の腕でも支えられるってとこか)
真面目に雲雀とやり合ったのは去年の9月が最後だけれど、自分の眼はまだその速さを追えている。すこし安堵しつつ短剣を構えなおした。
なるべく冷静に状況を分析しながら、雲雀の動きを見逃さないように睨みつける。
こちらが短剣で一撃を防いだことに興味を持ったらしく、雲雀は少し面白そうに口角を上げた。
「慣れてない割には上手く力が入れられているね」
「へ?」
「僕のトンファーを真っ向から止められるなんて、相当力込めてるんでしょ?」
雲雀の言葉に、首を傾げる。確かに思いきり突き出したけれど、そんなに上手く力を入れた覚えはない。むしろトンファーに比べて軽い短剣を突き出しただけなのだから、受け止められただけでも御の字なのだが。
「ああ、そういや……の短剣は重さが違うんだったな」
リボーンの冷静な声に、振り返る。顎に手を当てて、赤ん坊はうんうんと頷いていた。
「が持ってる分には軽いらしーが、俺たちが触るとすげぇ重く感じるんだ。だから雲雀はが受け止めたのを力強く感じたんだろうよ」
「そんな仕掛けがあるの?その短剣」
「いやいやいや冗談だろ!ていうか俺は十分お前の一撃が重く感じたぞ?!」
首をぶんぶんと振りながら、否定する。
確かに先日ツナが持ち上げようとしたときに妙な事を言っていたようだったが、てっきり冗談だと思っていた。
持ち手によって重さが変わる武器なんて、そんなの自意識の問題だろうと。
しかしそんな俺の狼狽した様子を全く気にもかけず、上げていた口角を元に戻しながら雲雀が嘆息した。
「なんだ。武器に頼ってるようじゃまだまだ駄目だね」
むしろお前の言うところの駄目で全く構わない。疲れた笑みを浮かべつつ雲雀の声に短剣を握り直す。おしゃべりはもう終わりだと言わんばかりに、雲雀がトンファーを構えた。
「防戦一方じゃ勝ち目はないよ」
再度狭まる間合いに、腰を少し落として両足に力を込める。後ろに下がり続ければすぐに屋上の端まで追い詰められてしまうだろう。
こちらから回り込まなければ、と雲雀の横を回って背後を取ろうとしたのだが───
「っうお?!」
2、3歩進んだところでつんのめる。勢いよく前に転んだ。結果的にそれは雲雀の攻撃を避けることにつながったのだけれど、勝手に転んでしまってはどうしようもない。
「……なにやってるの」
呆れた様な声が上から降ってきて、俺は慌てて身を起こした。けれど、自分でも今何が起こったのかよく理解できていない。
(今、なんか……早かった、のか?遅かった……のか?)
回避行動を取ろうと走り出した。
そこまではよかったのだが、なぜか自分が思っている以上のスピードで視界に映る背景が流れて行ってしまったのだ。
目と足がうまく連携できなくて、結果、急に歩幅を狭くしたせいで転んでしまった。
目を白黒させて必死に現状の確認をしようとするも、わからない。
しかし気を取られていては次の雲雀の行動に対応できない。立ち上がって体勢を整える。
「気を抜いてると死ぬかもよ」
そっけなくつぶやかれた一言は、その軽さの割に内容が重い。顔を引きつらせながら、迎撃できるように右手を前に出した。
「短剣の重さ、軽さ―――それにのスピード……」
目の前の攻防を見ながら、リボーンが呟く。先ほどは転んでしまったが、だんだんも慣れてきたようでうまく雲雀のトンファーをかわしている。
「気のせいじゃねえな」
(普段よりも、の身のこなしが軽い)
「ふっ!」
何度目かわからないトンファーの攻撃を弾き返して、ひときわ大きく横へと飛んだ。慣れない短剣のせいもあって疲労がかなり溜まっているはずなのに、なぜかだんだん体が軽くなっていく気がする。
謎の現象も最初は自分でもわけがわからずつんのめってしまったけれど、3度くらい繰り返してなぜだか今日の自分はいつもより早く動けているらしい、と良い方に頭を切り替えた。
そのお陰かまだ雲雀の攻撃を身に受けることはなく、なんとか怪我ひとつなくここまで耐えられたのだけれど。
(これ、夕方まで、続く……のか)
もちろん雲雀は疲れているようなそぶりを微塵も見せないし、タイムアップまでこの攻防がずっと続くのは目に見えていた。ちなみに今太陽はさんさんと俺の真上で輝いている。
「さっきも言ったけど、攻めてこないと終わらないよ」
「わかって、るっつの」
体が軽く感じても乱れる息を整えつつ、言い返す。対照的に息一つ乱さない相手が憎らしく思えた。けれど、どうしたらいいのかわからない。
リボーンはこの模擬戦を始める前に、『が雲雀に獲物で一撃与えられたら』と言っていた。それはつまり、この短剣で雲雀を攻撃しろということだ。
(そんなの……)
思考している間にも、攻めてくる手は止まらない。酸素の供給に見合わず動く体のせいで朦朧とする意識の中で、必死にどうしたらいいか考えていた。
そこで、雲雀がこれまでになく大きく左手を振りかぶった。回避しなければ、と思う反面、これはチャンスだと本能が告げる。
あまりに大きいモーションは、とどめを刺すというとき以外致命的な隙になる。
結果、考える前に俺の体は雲雀の体の下へ潜り込むように接近して、左手の短剣をその首元へと近づけた。
しかし、
(――――っくそ)
そこまでだった。
左脇腹へ強い衝撃。視界がブレる。内臓まで響いてくるような一撃に、意識が飛んだ。
「―――ふざけてるの?わざわざ隙を作ってあげたのに、寸前で攻撃を止めるなんて」
蔑むような色を含んだ声が落ちてきて、ようやく俺は目を開けた。少しずつ覚醒する意識が、じわじわと脇腹の痛みを伝えてくる。
「まさか、僕がまともに君の攻撃を受けるとでも思ったわけ?」
襤褸雑巾のように転がる俺に近づいて、雲雀は俺の手から離れた短剣の一つを掴もうとしたようだったが顔を顰めた。重い、と小さく呟くのが聞こえる。
「いくら相手がお前だって、刃物で攻撃するなんて……できるわけ、ねーだろ」
「なんでさ」
短剣を拾うのは諦めたらしい、姿勢を元に戻して問い返してくる。
「刃物、だぞ?しかも相手はお前で。模擬戦だとか、なんとか言って。こんなの、おかしいだろ」
「は?いままで散々喧嘩みたいなのしておいてよく言うね」
もっともな意見に、唇を噛んだ。確かに、何を言っているんだという感じではあったけれど、どうしても越えたくないものがあった。
「身一つで殴り合うならまだしも、こんな、相手を傷つけるための凶器を持ち出したら、もう喧嘩じゃねえ」
勝手な言い分だというのは重々承知していた。しかし、どうしてもそれだけは嫌なのだ。そもそも俺は決めたはずだ。友人たちが傷つくのを黙って見ているのではなく、俺の手が届く範囲で助けると。
「だから、守るときだけ、使おうと」
「綺麗事だね。守るためならそれこそ応戦しないと、守れないよ」
「それでも、……俺は」
殴られた脇腹が痛い。うまく呼吸できなくて肺が痛い。胃液が逆流してくるような気持ち悪さが、辛い。それらに負けじと、声を張り上げた。
「誰にでも簡単に、こんなもの、振り回したくねえ!」
息を吐き出すと、全身が弛緩した。限界だった―――再び、視界が黒く塗りつぶされる。
「そこまでだな」
「赤ん坊」
フェンスの上に腰かけていたリボーンが、ひょいと飛び下りて2人に近づく。気を失ったの顔をぺちぺちと叩き、反応が無いのを確認した。
「まだ、日は暮れてないけど」
口をへの字に曲げて、雲雀が反論する。しかし、その足元に横たわるは殴られた衝撃でかうまく呼吸ができていないようで、不規則に息を吐き出す音が掠れていた。
「こんなんで続けたら、こいつが再起不能になっちまうだろ?それは避けてぇ」
「……、甘いんじゃないの?武器を持つくせに」
ごろり、とリボーンがを仰向けにさせて胸を軽く押す。横隔膜が正常に機能し始めたのか、の呼吸は幾分安らかなものへと戻った。その顔を見ながら、雲雀が呟く。
とくにリボーンに尋ねたというわけではなく、思わず零れてしまったらしいその響きには少し不安さが混じる。
「まぁ、こいつ自身が傷つけるのを望んで持ってるわけじゃねぇからな……だが、こいつしか扱える奴を知らねえんだ」
ちらり、と落ちたままの短剣を見てリボーンが嘆息した。厄介な、そう言いたげに息を吐いて、雲雀を見上げる。
「お前こいつ連れてって手当てしてやってくれ。俺はあの短剣回収のためにジャンニー二呼ばなきゃなんねーからな」
「家は知らないんだけど」
「こいつん家救急箱すら無いらしいから、できればお前の家で。救急車は無しな」
「……しょうがないね」
貸し一つ、と言い添えて雲雀はを担ぎあげた。決して軽くはないが、運べないことはない。
そうして歩き出そうとした背中に、声がかかる。
「お前、戦ってる最中にこいつの速さについて何か感じたか?」
「……だんだん速くなってたよ。たぶん気のせいとかじゃないと思うけど」
「そうか……ん、もういーぞ。のこと頼む」
その後は互いに何も言わず、雲雀は屋上を後にした。