風惑リアリティ 二話 いっそ夢ならよかったのに
なんとも投げやりにその後の説明を聞き終え、帰ろうとした俺の足もとに何かが高速で滑り込んできた。
うわああ、と悲鳴を上げる物体はどうやら人らしい。突然のことに慌てて軽く跳び越えたが、滑り込んできたそいつは勢いを殺せずそのまま壁に衝突した。
「いったぁ!!」
「ん?お前、自己紹介の時にすっ転んでた……」
顔をあげて額を抑えるそいつの茶色い天パ頭に見覚えがあって、俺は記憶を探った。
特に覚えようという気がなかったのでクラスメートの自己紹介は聞き流していたのだが、目の前の人物だけは記憶に残っている。
『14番、沢田綱吉』
『うぁ、はいはい……ってうわあ!』
なんとも素っ頓狂な声を上げて、立ち上がろうとしただけで転んだやつがいた。
どうやら椅子の足に自分の足を引っかけたらしいが、器用なことをする奴がいるものだなぁと思ったものだ。
「大丈夫かよ?ったく」
「あ、ありがとう。いたた……おでこと鼻擦りむいちゃったよ」
手を貸して、引っ張って立たせてやる。振り向くそいつの鼻には本人も言うとおり擦り傷がついていた。
「痛そうだな、洗って来いよ。こっちは拾っといてやるから」
足もとに散らばるプリントを見やりつつ、言う。転んだ拍子にこいつの手から飛んだものだ。
そもそも転んだ原因はありえないほど高く積まれたプリントの山のせいだろう。前も見えずゴミ箱あたりにつまずいて転んだのが目に浮かぶようだった。
「え、いいよそんな。俺大丈夫だし」
「いいから洗って来いって。鏡で見てみろお前の顔ひでえから」
「ええ?!」
ぱたぱたと教室を出ていくのを見送って、プリントを拾いはじめる。ふと、奴の顔に見覚えがあるような気がして頭をひねった。
(中坊の知り合い?いねえよな・・・ていうか夢だから、俺が中坊の時の誰かの顔か?)
その疑問は今朝『並盛』という言葉を見た時と同じ種類のような気がしたが、答えが出る前にやつが戻ってきて、疑問が吹っ飛んでしまった。
「ごめん、ありがとう」
「いいって。これ職員室持ってくのか?俺も付き合ってやるよ」
「そんな、そこまでしてもらっちゃ悪いよ」
「人の親切は受け取っておくもんだぜ……っとこれで全部だな。行くぞ」
「……うん!」
俺から見れば、中1のやつなんて弟みたいなものだ。なぜか嬉しそうなそいつの横顔をみながら、尋ねる。
「なあ、お前名前なんてーの?」
「え?さっき自己紹介・・・」
「わり、俺まともに聞いてなかった」
「そっか。俺、沢田綱吉。、君であってる?」
「おう」
答えつつ、さっき飛んでいった疑問がまた戻ってきた。
沢田綱吉、と言う名前にも聞き覚えが――――
(―――ある。あるわ。大アリじゃねえか俺。)
「……なぁ、お前もしかしてダメツナってのが昔っからのあだ名だったりしない?」
「えっ?そう、だけど。なんで知ってるの?君同じ小学校じゃなかったよね?!」
決定打、だ。やはりここは夢の中らしい。
(リボーン!の世界……か。もっと早く気づけよな俺。並盛中とかありえねえっての)
「あーオッケーオールオッケー。ツナ、な。あーすっきりした。やっぱ夢か!」
「ゆ、ゆめ?何言ってんの?」
「なんでもねぇ。それより、お前なんで俺のこと君付けで呼んでんの?」
「なんか君って同じ学年な感じしなくて・・・つい」
「でいい。俺もツナって呼ばせてもらう」
「う、うん!」
満足そうな笑みを浮かべるツナを見つつ、俺も安堵していた。
(ここは嫌にリアルな夢の中で、設定としてはリボーンの主人公ツナとお友達になる始業式の日、なんだな)
その後職員室までの短い道のりを他愛無い会話で過ごし、なりゆきで一緒に帰ることになってしまったが、
気ままな夢ライフだ。嫌にリアルだろうがなんだろうが寝て起きれば今度こそ元の俺の生活だ。
―――そう、思いたかった。
いっそ夢ならよかったのに
「覚めてねえ・・・」
チチチチ、と鳥が可愛らしくなく声が響く朝。あまりのことに現実逃避してもう一度蒲団をかぶって、そろりと顔をのぞかせてみても
見える光景は変わらない。朝日が清々しく差し込む部屋の空気はいっそ重かった。
のろのろと起きだして、昨日はしなかった身の回りのものの確認を始める。
一通り見て回ると、もともと置いてあった荷物はそのままで残っていることがわかった。
昨日一度出して着た私服の入っていた箪笥も、バッグに突っ込んでいた免許証も、しまっていた現金も。
地元の小さな銀行に預けていた金を、引っ越した先の近くにある銀行に預けようと全部引き出して現金で持っていたのが幸いしたらしい。
セキュリティの上では危ないことこの上ないが。
あらかた確認して、腰を降ろす。頭の中が真っ白になっていた。
そのままであればあるほど、ここが自分の現実だといわれているようで。
茫然と宙を見上げる。
(俺、このまま、なのか?)
空っぽの頭の中に、浮かんでくるものがあった。それは、このマンションを借りると決めたときのこと。
『○○駅に徒歩15分くらいの、学生に優しい部屋ありますか?』
『そうですね、学生さんなら……予算は5、6万ってところでしょうか?』
『仕送りもあるのでもう少しなら出せますけど』
『なら、この物件なんてどうですか?』
『どれどれ、築6年、2LDKで駅13分?で……67000円?!この条件だったら破格じゃないんですかこれ!ここにします!』
『よろしいですか?それでは・・・あっ?ここは……!いえ、なんでもありません、管理人さんの方に連絡してきますから!心変わりとかしないでくださいよ?!』
『?はい』
あまりに良い条件で、浮かれていた俺も悪かったのだ。今となってはどうしようもないのだろうが、
『ここは……』の続きが非常に気になる。ここはなんなのだ。
そして、少しずつ冷えてきた頭に、残る言葉がある。
「管理人さん、ねぇ」
このマンションの管理人は、珍しいことにここの1階に住んでいる。苦手なので本当は近寄りたくない、というか
引き返したくてたまらないが、『彼女』の部屋の前まで来て、戻るのも馬鹿らしい。意を決して、インターホンを押した。
土曜早朝。迷惑極まりない訪問だが、この際仕方無い。
かなりの間を置いて、インターホンから声が聞こえた。
「なによぉ……こちとら眠ってたんだけどぉ」
「朝っぱらから住みません、です」
「え、君?!」
間延びした声から一転。はっきりとした声で俺の名前を呼ぶと、彼女の部屋からどたどたと物音が響きだした。
逃げたい。しかしここで逃げたりしたら彼女は俺の部屋まで訪ねてくるだろう。必死に足を押しとどめながら、どたどたという音がこちらに近づいてくるのを堪えて待つ。 バン、とドアが開くと同時、『彼女』が飛び出してきた。
「く〜ん!めっずらしいじゃない君から訪ねてくるなんて」
「は、はぁ。すみません。ちょっと火急の用件が」
熱烈な頬ずりを受けながら、必死に伝える。長く巻いた黒髪に白色の肌、美しいとしか形容のしようのない美貌を持った20代後半ぐらいだろう 彼女が、このマンションの管理人である杉原綾子さんだ。初めて会った時からなぜか彼女はいたく俺を気に入ってくれているらしく、会う度こうして熱烈な 歓迎を受ける。しかしこのノリには正直ついていけないのであまり関わりあいたくないというのが俺の本音だ。
「かきゅう?なーんだごはん持ってきてくれたんじゃないの?」
「すみません。俺もまだ朝食取ってないんですよ」
「んん、まぁいっか。君が訪ねてきてくれただけであたし今日一日しあわせー」
以前一度自前の料理を差し入れて以来、尋ねるときはそう言うものだと思われているらしい。けれど、今はそれどころではないのだ。
「どうぞ」
「失礼します」
招き入れられた杉原さんの部屋は整然としている。てっきりさっきの物音は必死に掃除しているのかと思ったが、どうやら関係ないらしかった。 進められた椅子に座るなり、俺は本題を切り出した。
「綾子さん、昨日から、なんかおかしいんですよ」
「なんか、ってなにが?」
「……外に出たら、違う街だったんです」
はっきり言って、頭がおかしいとしか思えない相談だ。けれど、俺の部屋は―――正しくは、このマンションだけは他から切り取られたようにそのままなのだ。
このマンションにもなにかあるとしか思えない。考えに沈みそうになる俺の頭に、予想もしない一言が飛び込んだ。
「そっかーついに君とこも飛ばされたかー」
「え」
彼女は今なんと言ったのだ。飛ばされた?ついに?俺の、とこ、も?
「結構かかってたよね。越してきたのが2月半ば、だっけ?そしたら1ヶ月以上かかってたのかあ」
「ま、待ってください、どういうことですか」
「ん」
頭の中にあふれかえる疑問が、その一言だけをなんとか俺の口から滑りださせた。
しかし彼女はなんとも余裕たっぷりに微笑んで、右手で頬杖をつきながら、こう言った。
「順を追って説明してあげましょう。外でもない君の頼み事だもの」
そこからの彼女の説明は、俺の頭の許容量を大幅に超えていた。
かいつまめば、こうだ。
このマンションはいわゆる「いわくつき」のマンションで、しかしその実部屋で怪死を遂げた人がいるというのでなく、越してきた人が神隠しにあうというものだ。
しかも神隠しに会った人は決まって必ず帰ってくる。それまでいなかったのが嘘のように、ひょっこりと。
そんなマンションならとっくに取り壊されてもいいはずなのだが、神隠しにあった人はだれ一人として管理人もしくは不動産を責めることはないのでそのような沙汰になることはないという。
なぜなら、部屋の空間がずれて違うところへ飛ぶけれど、このマンション内だけはそのままつながっているのだという。そしてこの神隠し自体は、
「部屋に来た人の知っている世界へ、その部屋が飛ぶ。その行先は部屋だけが知っているけれど、この旅はその人のために必ず起こるものなの」
――――なのだそうだ。杉原さんいわく。
だから俺がここに来て、あの部屋に引っ越して、リボーンの世界に飛んできたのも、全ては起きると決まっていたことらしい。
「ってそんなの理解できるわけないじゃないですか!」
「えーそんなこといわれても」
最後まで、話を聞いて、それから。溜めに溜めた欝憤が爆発した。
危うく目の前のテーブルをひっくり返したくなる衝動に捕われたが、代わりに手を打ち付けることでやり過ごす。
「ていうことはなんですか、俺も俺の生活していたところには戻れないんですか!」
「戻れるわよー。君が飛ばされた世界でのやるべきことが終ったら帰ってこれる。それがなにかはあたしにもわからないけど」
「やるべき、こと?」
「もしくはその世界の物語が終るか」
煮えていた頭に、目の前の杉原さんの声が、冷たく響く。いつもの彼女からは想像もつかないほど真剣な、冗談のかけらも感じさせないほど冷静な、声。
頭のどこかで、この話が彼女の冗談だといいなと思っていた。突然笑顔に戻って、「びっくりしたー?」とおどけるのではないかと。
しかし、この様子では――――
(本当、なんだな。俺が飛ばされた、っていうことも。それなら)
「帰れるん、ですよね。いつかは」
「ええ。君が、ここで死なない限りは」
死ぬ、なんてことがあるのだろうか。怯えたのが顔に出たらしい。杉原さんが少し笑みを戻す。
「大丈夫よ。君のところは聞いた感じそんなに危なそうじゃないし。3階の安西さんなんか飛ばされたその日に血相変えてここ来て『殺される!』って言ったんだから」
どんな世界だ、それは。安心できるどころの話じゃない。思わず口端がひきつった。
というより、リボーンの世界は安全だっただろうか。
(マフィア、が絡む話だったような……ていうか今のジャンプの展開ってマジに命のやり取りやってなかったか?)
リボーンのコミックスは持っていない。連載開始当初からかかさず毎週ジャンプで読んでいただけだから、昔の内容を思い出そうとしてもぼんやりとしか浮かばなかった。
暗くなる考えを振り飛ばしたくて、先ほど気づいた疑問を訪ねてみる。
「そ、そういえば杉原さんは何でそんなに詳しいんですか?」
「あたし?」
きょとん、と驚いたように目を丸くする。どうやら予想外の質問だったらしい。至極当然な疑問だと思うのだが。
「あたしも、同じようなものよ。思ってもみなかったところからこのマンションの管理権が舞い込んできて、やったあ簡単に収入得られるーって喜んでここの1階に移り住んだら」
「なにかあったんすか」
「そう、紙がドアに張り付けてあってね。タイトルが『このマンションをよろしく』だったからとりあえず読んだら、さっき話したようなことがずらずらと書いてあったのよ。燃えちゃったけど」
(紙が燃えた・・・俺のところに置いてあった紙と同じだ)
「いたずらと思ったけど、実際にここに住む人はおかしな目に合ったって言うし。最初は大変だったんだからあたし」
はふ、とため息をつく姿は悩ましげだ。きっといろいろあったんだろうな、と簡単に想像できる気がした。
思わず苦笑していると、はた、と思考が停止した。
「あ、あのう」
流れ出る冷や汗が止まらない。こんな非現実的、摩訶不思議な現象にさらされても問題が、現実的な問題が残っていることに気がついてしまった。
「今の俺は神隠し状態って、言いましたよね?」
「うん」
「……仕送りは?」
「届かないだろねえ」
拝啓、母上様。俺、生活費がどう考えても足りません。