風惑リアリティ 十九話 損得勘定、不足は保険?


「やっぱ駄目か……ちくしょう」

2年の始業式、今ならきっとシャマルが保健室に入るだろうと意気込んで行ったはいいものの、やはり自分の望む返答は得られなかった。
つまるところ雲雀にかけた桜クラ病の処方薬を出してほしいと頼んでみたのだ。しかし、

「嫌だね、そんなことして俺に何の得があるんだ?そもそも俺は男は診ない」

と言われ早々に保健室から追い出された。緊急事態が訪れない限りシャマルが薬を出してくれることは無さそうだった。
ぺたぺたと廊下を歩きながら溜息を吐く。そんな緊急事態なんて、起きてからでは遅いから言っているのに。
廊下の窓から外を見る。覗く景色にピンク色が混じっていた。危惧していた通り並盛中にも桜はあって、けれど本数は多くないから、雲雀も体調にそれほど影響はないだろう。

「うまくいかねーもんだなあ」



損得勘定、不足は保険?



運よく……と言ってしまっていいのかは甚だ疑問だが、ツナたちと同じクラスのA組に入れたのは素直に嬉しかった。
それが他意の関わるものか否かは置いておいても、やはり友人と同じクラスのほうが嬉しいに決まっている。

(ロンシャンのテンションにはついていけそうにねえけどな)

漫画で読んだ時も相当だったが、実際見ても濃いキャラだった。むしろ半分くらい本気で引いたが、こんな奴がいることに他クラスだったとはいえ気付かなかった自分が不思議でならないほどだった。
教室での学級委員長決めの時のことを思い出して、苦い笑いが自然に口に上る。

(そういや、学級委員長って委員会の集まりとかは関係ねえのかな)

学級委員長になろうという意思がかけらもない自分からは想像もつかないが、もし委員会の集まりにロンシャンが出たりしたら雲雀に目を付けられること請け合いだろう。
そんなことを考えていると、廊下の向こうから黒い人影が近づいてくるのが見えた。この学校内で黒い人影なんて言うものは大体が恐怖の代名詞だ。

か」

「どうも」

すれ違いざまに声を掛けられて、会釈で返す。黒い人影は風紀副委員長だった。雲雀がいないときに俺のレポートを受け取ってくれたから、相手も俺の名前を覚えているらしい。

「待て。委員長から言伝だ。応接室に来るように、とな」

「は?なんで雲雀から……っと、なんで風紀委員長が」

風紀委員を相手に雲雀を呼び捨てにするのはどうにもまずいようだ。目の前の副委員長も何も言わなかったが、一瞬眉をぴくりと動かしたのを見てしまった。

「呼び出しの理由までは聞いていないが、なるべく早く行けよ」

「はあ……」

内心怒っているのかもしれないがそれを表面に出さないのが大人だなあと思う。ところで俺から見ても年上にしか見えないこの人はいったい何歳なのだろう、と考えているうちに副委員長は歩いて行ってしまった。
見送ってしまってから、副委員長の名前を知らないことに気づいて一人恥ずかしくなった。


「呼ばれたから来てやったぞ」

「ワオ、入ってくるなりいい態度してるじゃない」

ガラ、とドアを開けて応接室に入って、うっかり大きな態度で出てしまったことを後悔した。
こちらとしては花見のあの日に勇気づけられたこともあって少し打ち解けたかと思っていたのだが、トンファーを即座に取り出した雲雀を見る限り全くそんなことはないらしい。

「すいませんでした」

「ふん。まあいいよ。そこに座って」

つい、とこちらから視線を外して手に持っていたファイルに目を落とす。ベスト姿の雲雀の腕には変わらず風紀の腕章がある。
こうして応接室に来るのはもう慣れているはずなのに、なんだか落ち着かない。視線を泳がせた末なんとはなしにその腕章を見ながら、言われたソファーに腰掛けて尋ねた。

「それで、今日は何の用件だ?」

副委員長に言われてここに来るまで考えていたが、レポートに関わることだとしても今日というタイミングが気になる。
しかしそれ以外に雲雀に呼び出されるようなことなど、見当もつかなかった。

「君さ、アルバイトを認める特例として一年間家計状況についてレポートを書き続けてきたよね」

「ああ」

朝にクラス分けの表を見て、時間の経過を改めて実感し複雑な気持ちが胸を占めたことを思い出す。

(昨日も思ったけどまだ帰れないんだな……)

感傷に浸るのは柄じゃないが、それでも思うことはいろいろあった。

「そしたら。君、会計やってよ」

「ああ……って、は?なんだって?会計?」

虚ろに宙を見ながらの思考に気を取られていたせいで生返事を返してしまったが、会計とは何のことだろうか。

「ちょうど人員交代の時期でね。人が足りないんだ」

「は?え、ちょっと待てよその会計ってまさか」

「風紀委員のだけど」

あっさりと、当たり前のように、ファイル―――風紀委員の名簿だろうか、から顔をあげて雲雀に言われ、まるで自分がおかしいかのような錯覚を味わう。一間空き、ようやっと俺は反論を口にした。

「っ馬鹿言うな俺は不良軍団に入る気はねえ!」

「ワオ、聞き捨てならないね。僕は風紀を乱す輩を取り締まっているだけなんだけど」

(その取り締まりがヤクザまがいの方法だから言ってんだよ!)

飛び出しそうになった言葉をすんでのところで飲み込み、なんとかこの恐ろしい誘いを拒否しようと頭をフル回転させる。

「俺じゃなくてもっといい人材いるだろ!」

「前の会計はよかったけど卒業したからね」

へえ、風紀委員でも卒業するんだ、なんてどうでもいい感想が沸いてきた。卒業するのが当たり前だった。

(あれ。こいつとか副委員長ってナニモン?)

ポケモンじゃないかな!なんて間違った方向にフル回転した頭が馬鹿げた回答を返してくる。
もしかしたらショートしているのかもしれなかった。

「風紀委員の中から選出しろよ!」

「そう思ってリスト見てたんだけど、いいのがいないんだよね」

「自分で発掘しろ!」

「だから君を呼んだんじゃない」

叫んでいるのは俺だけだ。むしろファイルを閉じてうるさそうにこちらを眺めてくる雲雀の方が普通に見えそうな言い合いだった。

「あー、とにかく、俺はお断りだ」

「へえ、じゃあバイト禁止にしようか」

頬杖をついて余裕たっぷりにそう呟く雲雀に、冷水を浴びせかけられたように頭が冷える。まさか飛び出すと思わなかったその一言に、立ち上がってドアの方へ足を向けていた俺は振り返らざるを得なかった。
本気でそれを引き合いに出しているのだとしたら、俺は要求を呑まざるを得ない。

「……お前、それ」

「冗談だけど」

変わらぬ笑みであっけらかんと告げられたそれに、今度こそ全身の動きを止めた。
数秒して、ぶるぶると右手の拳が震えはじめる。

「冗談にも程があるぞお前!」

「うるさいな。それは置いておいても、こんな条件はどう」

本気で怒鳴った俺をむしろ楽しそうに見て、雲雀はデスクの引き出しから何かを取り出した。どうでもいいが、雲雀に遊ばれているようで腹が立つ。

(こいつ冗談なんて言う奴だったか?)

そもそも打ち解けたと思ったのが間違いだとさっき感じたばかりなのに、一年前よりやたら話しやすくなったように思えてきた。

「知らないと思うけど、風紀委員は並盛の商店街も取り締まってる。そこで風紀委員には特典があるんだよ」

取り出したそれは風紀と書かれた腕章だ。風紀委員がみな腕につけている。

「並盛商店街での買い物が10%割引」

まさか雲雀の口から飛び出すとは思えない所帯じみた言葉だ。先ほどの脅し文句とは違った意味で雲雀のイメージからかけ離れている。
それより、その言葉の魅力はおそらくほかの何よりも、俺にとっては強大だった。

「……商店街の店、全部か」

「そう、全部」

実際にこれを使っている風紀委員はいないみたいだけどね、という雲雀の声が耳を素通りするほど魅力的すぎる。食料品はもとより、文房具、その他すべてが10%OFFなんてどんなサービスでもあり得ない。

(会計を引き受けさえすれば、10%OFFが俺のものに……!!)

もう少し冷静になれば、よく考えろ、と自分を押しとどめることができたかもしれない。
しかしこの時の俺には、俯いてこう言うのが精一杯だった。

「……雲雀」

「なに」

「学ラン着たくねぇ……」


かくして俺は週一の風紀委員会計任務を引き受ける代わりに商店街10%OFF権を手に入れたのだった。
俺の言葉に笑いを堪えるような顔をしていた雲雀に頼み込んだ結果、リーゼントなし学ランなし(風紀の腕章は受け取らざるを得なかった)は許可され、雲雀認可の商店街10%OFFカードを手渡された。
というよりそうしないと風紀委員の格好をしていない俺は店員にわかってもらえないだろう、と言われたのだけれど、その日の帰り俺はやっぱり少し後悔した。
何かというと、買い物を終えて早速いそいそとレジのおばちゃんにカードを提示したところ小さな悲鳴を上げられ、小声で

「なにか弱みでも握られたのかい」

と尋ねられたのだ。そのおばちゃんとは顔なじみだったのだけれど、雲雀に渡されたカードの署名が雲雀直筆だったのがまずかったらしい。
突然よそよそしい対応をされて泣きたくなったのは、仕様のないことだと飲み込むしかなかった。


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