風惑リアリティ 十八話 風に散る花と芽吹いたなにか


「や、べぇ」

中央公園で花見をするとリボーンから自宅に連絡があったのが1時間ほど前のこと。
腕時計を確認する。花見の場所取りに行けと指定された時間をすでに5分ほど過ぎていた。
全速力で走ってきたのに赤信号で足止めされて、もどかしさに目を細める。
もう公園の桜並木の鮮やかなピンク色が見えるところまで来てはいるのだが、いかんせん急がなければならない理由があった。



風に散る花と芽吹いたなにか



(花見ってーと……なんだったかな)

通話していた受話器を置いて、覚えのある単語に頭を捻る。頭の中をひっくり返そうとして、これからレンタルショップに行くところだった、と答えを出すのを後回しにしたのがいけなかったらしい。
春が訪れてコートもいらなくなったから、今日が返却期限のCDを歩いて返しに行って返ってきて。壁掛けの時計が指す時刻を見て、待ち合わせに少し遅れそうだけどまあいいか、と財布を入れたバッグを置きふと目に着いた白いメモを引っ張り出した。
書かれた一つの漢字が目に入って、連鎖で思いだす。

(桜、)

今日は、花見、

桜の下で、そう、

―――雲雀。

(そうだ、今日の花見の場所取りは風紀委員と鉢合わせして、)

そこまで思い出したところで、身を翻して走り出した。


走りながら必死で頭の中を探っても、もともと頭の中に入っていないのか上手くこの日のことを思い出せず奥歯を噛みしめた。
たしか花見の場所取り自体は、俺が行こうが行くまいが結果的には成功するはずだ。―――その間に雲雀との勝負を挟んで。
俺にとっては、それが問題なのだ。
ようやく公園の入口を跨いで、桜並木の下を走る。

(いた!)

これだけの花見日和にもかかわらず他に人が見当たらないのはきっと地に伏している一風紀委員によるものなのだろうが、俺の視線はその向こうに居る4人に固定されていた。
自分の荒い息が他人のもののように思える。
獄寺が膝をついていて、山本が今、蹴り倒される。ならば次は、ツナだ。ツナの額に炎が映えて、その手にはたきが握られた。
咄嗟に大きく踏み出した足が、何かに躓く。何でこんな時に、とゆっくり倒れていく体の足もとを見ると、いつもの黒衣ではなく陶芸家のような服を着た赤ん坊の姿があった。
遅れて無様に倒れこんだ俺の耳に、静かな声が届く。

「ちょっとツナの死ぬ気時間が延びたか見るから、待て」

「っ何言ってんだ!」

俺が何の為に走ってきたかわからないじゃないか、とがむしゃらに手をついて立ち上がる。

(なにがあった、ここで)

思い出せない。肝心なことが思い出せない。
ツナの額の炎が消えた。凶悪な遠心力を持って襲いかかる雲雀のトンファーが振りあげられる。
続いて視界に映りこんだ、新たに体勢を崩した影は一つだけだった。


「おーいて」

のそりと木の陰から姿を見せたシャマルがのんびりと告げる。痛いと口にしながらも雲雀の攻撃を食らったとは思えないその様に、直撃は避けているのだろうと予想がついた。

「シャマル?!」

無事だったツナが驚きの声をあげる。倒れていたシャマルが復活を遂げたことに目を丸くしていたが、当のシャマルの目は膝をついた雲雀に向けられている。
シャマルと雲雀の様子を見て、リボーンがぽそりと呟いた。

「トライデント・モスキートか」

「おお、こいつにかけたのは桜クラ病つってな。桜に囲まれると立っていられなくなる」

(桜クラ病……)

ようやく思い出したそれと合致した病名に顔を顰める。馬鹿にしたような名前だが、その症状が冗談ではすまないことは実際に雲雀の様子を見れば明らかだった。
振りおろそうとしていたトンファーを握る手が、今はそれをなんとか掴んでいるのだとわかるほどに力が入っていない。
しかし声をかける前に俺を見た雲雀は何でもないように立ち上がると、すぐさま背を向けた。

「この勝負は君たちの勝ちだ。約束は約束だからね、せいぜい桜を楽しむといい」

「あ、おい……」

伸ばした手から逃げるように歩きだした雲雀の足もとはおぼつかない。しかし意地なのか、けして倒れまいとしているように見えた。そのまま足を進め、どんどん離れていく。


「またへんてこな病気を……」

背後から聞こえたツナの声に振り返る。

「ツナ、お前怪我ないか」

「あ、俺は大丈夫だけど」

3月も末とはいえさすがにパンツ一丁では寒い。これ着てろ、と羽織っていたジャケットを脱いでツナに渡す。見れば、ツナは雲雀の攻撃を防ぎきったのか傷はなく、膝をついていた獄寺も元気のようだ。
ひとり座り込んでいた山本に近寄る。

「痛むのか?」

「え?あ、いや。なんてことないぜ」

ほら、とガッツポーズをとる山本に苦笑する。元気な腕は見せなくていいからその蹴り跡のついている腹を見せろと言うのに。しかしもとより頑丈なこともあってか痛みはないようだった。

「よし。それじゃ場所も確保できたし、ママンたちが来たら花見を始めるぞ」

鮮やかに咲き誇るたくさんの桜の下、あっけらかんとしたリボーンの声に脱力した。
結局俺が急いで来ようが来まいが変わらなかったような気のする結末に、肩を落とす。

(……違うな)

変えようと思えば、変えられたはずだ。そのことを思い、ツナに向きなおった。

「ツナ、ちょっと俺いまから席外すけど、食べ物取っといてくれ。すぐ戻ってくるから」

「あ、ええ?うん。いいけど……、忘れ物?」

「そんなところかな」

すこしツナには大きめだったのだろう俺のジャケットを着て、後でねと手を振るツナに笑顔で手を振り上げた。
忘れものというよりは、出来の悪かった宿題の追加課題を解く気分だった。


「おい!待てって」

桜がそろって花を咲かせ落ちた花びらが埋める道を雲雀の消えた方へ走ってきてみれば、公園の入り口まではまだ遠いそこで先ほどよりよほど具合の悪そうな足取りの雲雀がいた。
声が聞こえているのかいないのか、こちらを振り向く気配はない。じれったいような気持ちになって、距離を詰めて肩に手を伸ばす。

「っ……君か」

「お前っ」

ようやく振り向いた顔は普段と比べてかなり青白く、薄く額に噴き出した冷や汗が前髪の毛先を濡らしている。俺を睨みつける目はそのままだが、焦点を合わせづらいのか視線が揺らいでいた。

「こんなんでよく歩けるな!肩貸すから掴まれ」

ほら、と腕を取ろうとすると、おそらく今できる最高の抵抗なのだろう、俺の手から逃げるように体をひねったが逆にバランスを崩して倒れそうになった。
慌てて腕を捕まえる。崩した姿勢を戻すのすらきついのか、されるがまま俺に肩を担がれた。

「なにしに来たのさ。笑いにでも来たの」

「好意はありがたく受け取れよ……って言いたいところだけど」

言葉を切って、唇を噛んだ。決まり悪そうに下を向いていた雲雀が怪訝な顔で俺を見る。

「止めようとすれば止められたはずなんだけどな……後手に回ってばっかだ」

家から走り出したその時は、ただ雲雀とツナたちがやり合ったことだけしか思い出せなくて、雲雀を止められるならと思っていたはずだった。
いざ雲雀が桜クラ病になるまで気付かなかった俺が悪い。この日に何かがあったはずだとわかっていながら、それに辿りつけなかった。

「草食動物を助けに来たんじゃないの」

「それもあるけど、それだけじゃない」

思い出す。雲雀と応接室で相対した時に自分で言った言葉。

『目の前で友達が殴られるのを黙ってみているわけにもいかないからな』

この世界で起こることすべてを把握している訳じゃない。だから俺が知っていて、手の届くところだけでも助けられたらと思っていたし、今でも思っている。
それなら、

「お前のことも、助けられるなら、助けたかった」

「―――なに、それ」

雲雀のことだって、散々酷い目に合されたりしたけれどただの他人よりはよほど面識もあるし、何より―――この間俺の心を軽くしてくれたことが、嬉しかったから。
その恩返しではないけれど、シャマルのトライデント・モスキートの発動を止められたらよかったのだ。

「僕は君に助けられるほど弱くない」

「俺もそう思う。だから……まあいいんだ」

咬みつくように雲雀が言い返してきたのに苦笑する。
頭がおかしいと思っているかいないかはさておき、俺の言ったことを雲雀が信じているとは思えない。だから、この先のことを考えたら、なんてことは言わなくていい。
肩を貸したまま、2人で公園の入り口を目指して歩く。公園を出てしまいさえすれば、そうそう桜にお目にかかることはない。

(あれ?並盛中って桜あったっけか)

「ねえ、。君が気にしていることって、」

「ん?」

もしかしたら雲雀は学校に入るのすら大変になるのか、と考えを巡らしていたが、雲雀の声に慌てて耳を寄せる。俺より雲雀の方が背が高いから、肩を組むのは楽だが少し口が遠い。

「前に言っていた、漫画がどうこうっていうのと関係あるの」

一瞬声を失った。
都合良く吹き抜けた風が桜の枝を揺らし、それまでより多くの花を散らせて俺の視界を遮る。それは雲雀にとっても同様だろうが、それを気にするような余裕は俺にはなかった。

「……あ、え?」

「答えられないわけ」

まさかこいつは俺が言ったことを真に受けて―――いや、真摯に受け止めてくれていたのだろうか。

「もしそうなら―――それこそ、君に助けてもらいたくない」

「っそれは」

自分たちのことに介入するなと、そういうことだろうか。俺の行動を真っ向から否定された気がして、衝撃に足が止まる。

「君にとって良くないことが起きるとしても、君にふり回されるだけなのは嫌だ。だから、」

ぎこちなく顔を動かして雲雀を見る。やはりいつもより迫力はないが、桜が舞い散る中、視線はまっすぐに俺を射抜いていた。

「僕は僕の好きなようにする。できるものなら必死で僕を止めて見せればいい」

「……お前……」

挑戦するように瞳を光らせて、俺に肩を担がれた体勢のまま覗き込むように俺を見た雲雀の口元が緩く弧を描いているのに目を見張る。
変わらず気分の悪そうな顔色で、冷や汗を流しているくせに、どうして。

「……そうさせてもらうぜ」

(なんで、嬉しいことばっか言ってくれんだかなあ)

本人にはその気はないのだろうけれど、張り詰めていた緊張感が解けて全身に入っていた力が抜ける。うっかり目もとの筋肉まで緩んでしまって、瞳に張っていた水の膜が壊れそうになって顔を上げた。
また足を進めれば、ようやく入口が見えた。ゴールが見えて気が抜けたのか、肩の重みが増したような気がしたが、気にはならない。
今雲雀に貸している肩は奇しくも前に雲雀とやりあって負傷した肩なのに、どうしてこうも安らかな気持ちになるのだろう。
すぐツナのところに戻ると言ったくせにむしろ名残惜しいような気さえして、妙な気分に首を傾げた。


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