風惑リアリティ 十七話 一面の白をかき消す、それ
「お」
バイトからの帰り道、ちらりと視界に入りこんだ小さな白を目で追う。地面に落ちて形を無くしたそれに白い息を吐き出した。
「降ってきたか」
夜空を見上げれば白い点があちらこちらに舞っている。寒いとは思っていたがどうやら今夜は天気予報の通り雪のようだ。
一面の白をかき消す、それ
「。おはよう」
昨夜降った雪は見事に積もって、朝起きた時から窓を開ければ一面の銀世界だった。無邪気に喜んでもいられず、昨日バイト帰りに杉原さんに頼まれた雪かきのため外に出た俺をツナが呼びとめた。
「はよ、珍しいな?ツナが俺のとこ来るなんて」
スコップを携え防寒対策ばっちりの俺とは違って、普段の格好にマフラーをしているだけのツナは寒さに震えながらそれでも笑みを返してきた。
「ちょっとリボーンに頼まれてさ……今日忙しい?」
スコップに視線を移してのツナの言葉に、暫し考える。雪かき自体はボランティアではなく、夕飯を奢ってくれるという杉原さんの一言に魅かれてやっているものだ。その上で引き受けたのだから、放棄するわけにも、中途半端で終わらせるわけにもいかない。
スコップを肩に担いで、聞いてみる。
「雪かき自体はそんなに掛からないけど……終わってからでもいいか?」
「うん、じゃあ待ってるよ」
そうとなればてっとり早く終わらせてしまおう。手をすり合わせているツナを凍えさせてもいけない。
「待たせてごめんな」
「いいよ、それにすごく速かったし」
マンションの前の雪を綺麗に側溝に落とし大急ぎでいつもの私服に着替えて、待っていてくれたツナと歩き出す。
てっきりツナの家に行くものだとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。ツナの進むのに歩幅を合わせて、疑問を口に出してみた。
「そんで、今日はどこに行くんだ?」
「学校だよ。校庭で雪遊びしたいんだってさ」
こういうときばっかり赤ん坊みたいな反応してさ、とぶすくれるツナに苦笑する。確かに、赤ん坊自らがそんな遊びを提案するなんて―――
いや、提案はするのだ。そしてそういう時は決まって、
「待ってたぞ、ツナ、」
校門で仁王立ちをして余裕たっぷりに口端を上げる赤ん坊は、
「今日はファミリー総出の雪合戦だ」
何かを企んでいるのだ。
「おい待てよリボーン、3人じゃ雪合戦なんて……ん?総出?」
「そうだぞ。もう全員来てる」
ニヒルな笑みを浮かべたまま、くい、と親指でリボーンが指す先には山本や獄寺、ディーノに笹川了平の姿がある。そして子供たちの姿も。
ツナの姿を見て顔を綻ばせた面々の中で、ひとり俺を見て顔を曇らせた子供がいるのに気付いた。
「わり、ツナ。リボーン」
浮かべていた笑みを暗く染めたフゥ太に、小さく胸が痛む。そのまま、振り返った2人に告げる。
「今日は俺抜けさせてもらうわ」
「ええ?」
不満そうな顔をしたリボーンに何か言われるかと思ったが、もしかしたらフゥ太の様子に予想がついていたのか、眉を少し跳ねあげただけで頷かれる。
「……いいだろう。また次の機会にな」
「な、なんで?」
突然俺が断ったことに、ツナの方が驚いていた。だからと言って、先日のフゥ太とのことを言うのは気が引ける。結局俺はただツナに謝って、その場を離れた。
まだ子供のフゥ太に気を使わせてしまうのが嫌だったと言うのが半分。もう半分は、
(俺が、嫌なだけか)
フゥ太の怯えたような目で見られるのが嫌だったのだと思う。どうにもこの頃俺らしくない思考に落ちてしまって困る。
学校から離れようと、行く先も決めずに歩いている俺だが、迷いがそのまま出ているかのように進んできた道はぐちゃぐちゃだ。終いにはそこの角を曲がれば並盛中ですというところまで戻って来てしまった。
途方に暮れて、思ったより雪に取られて歩きにくかった足を止める。電柱に手をついて、溜息をついた。
その俺の襟首が、急に強い力で後ろへと引っ張られる。
首が閉まる感触に、既視感を覚えて頬がひきつった。
「そんなところで、なにしてるの」
「……やっぱ、お前か」
引っ張られるまま振り向けば、そこには雲雀の顔があった。こうやって襟首を掴まれたのは2度目だ。あの時は上からだったからか、今よりよほど苦しかったけれど。
この頃顔を合わせるたびにその眉間に刻まれていた不快そうな皺が、今日はない。先日バレンタインデーの日はあれほど不機嫌そうにしていたのに。
「散歩してるだけで、お前に取り締まられるようなことはしてねーよ」
「……」
学校も休みの今日、こいつが学校のまわりをうろついている理由も気になるが、強くはない力で掴まれたままの襟首の方が気になる。首を無理やり曲げている姿勢も疲れるし。
「離せって」
怒ってはいないようだけれど心情の読み取れない顔でこちらを見下ろす雲雀に抗議するが、その手が離れない。
なんなんだこいつ、とうなだれると、またもや襟首が引っ張られた。今度は止まらず、体ごと引きずられる。
「。君、今月分のレポート提出する日だろう」
「は?提出日が休日だったらその明けの月曜でいいってお前言ってたじゃん」
提出日は確かに今日だ。しかし今日は日曜で、休日に被った場合はその休日明けの月曜が提出日だと、雲雀が最初に言っていたはずなのに。
「……なにか文句でもあるの」
「ありませーん」
久々に取り出されたトンファーを見て、文句を飲み込んだ。これから予定でも入っていれば全力で拒否するところだけれど、夕方までは別に何も無いし、怪我をするのも馬鹿らしい。
もともとわかりづらい奴だったけれど、今日はそれ以上に雲雀の気分の上下がわからない。引きずられるまま、雲雀の顔を見上げる。やはり、読めなかった。
そういえばレポート提出というのはどこで書かされるのかと、考えて青褪めた。
「おい、まさかレポートって応接室で書かされるのか」
「そうだけど」
あっさりと返ってきた答えに、慌てて足を動かした。けれど雪のせいか上を滑るだけで、大したブレーキにならない。
「ちょっと待て、今学校に行くのは」
「不都合でも?」
不都合も何も今俺はそこから離れてきたのだと、言う間もなく雲雀が校門をくぐる。ぎょっとして、校庭を確認した。
どうやら今は雪合戦真っ最中らしく、誰もこちらには気づいていないようだった。子供らしい笑みを浮かべて雪玉を投げているフゥ太に、ほっとする。
「っ痛ぇ!」
応接室に着くなり床に投げ出されて、思いきり頭を打ってしまった。痛む頭を抱えて見上げる視界に、紙がばさばさと降ってきた。
「僕は僕の仕事があるから。そこで書いて」
「お前な……」
文句の一つでも言ってやろうと声の出所を探ると、既に自分のデスクに着いて我関せずとばかりに涼しい顔をしている雲雀が見える。
言ったところで詮無いことかと、肩を落として散らばった紙を拾う。ちょうど毎回レポートに使っているのと同じ三枚であったことに少し驚きつつ示されたソファーに座って、自分の右手を見た。
「俺書くもの持ってないけど」
無言でこっちに鉛筆を投げてきた。危ねえ、と慌ててキャッチした鉛筆には金文字で「風紀」と書かれていて、特製品であることが容易に想像できてげんなりする。
時々鉛筆を手で弄びつつ、目の前の白い紙を黒で埋め尽くしていく。朝の雪かきと同じだと、小さく笑った。
そうして30分が経っただろうか、作業の手を止めて、息を吐く。
疲れたわけじゃないが、考えてみればこのレポートの提出を続けてもうすぐ1年になるのだと気付いたのだ。おかしなもので、最初は嫌で嫌でしょうがなかったのに慣れてしまえばそういうものだと思うようになる。
最初はやはりこの応接室でレポートの書き方を直されたのだったと、ふと雲雀の方を見れば丁度筆を止めたのか、こちらを見ている雲雀と目があった。
「……なに」
「なんでもねぇよ」
むしろお前が何か用かと聞こうとしたが、さっさと視線を書類に落としてしまったから、まあ偶然だろうと俺も前を向いて伸びをした。
あと一枚のうち半分ほどで書き終わる。頭を捻る時間はたいして変わらないのに、初めてのときより確実に縮まっている作業時間に苦笑した。
紙を揃えて、立ち上がる。雲雀のデスクに近づいて、まとめたそれを置いた。雲雀に直接これを渡すのも久しぶりのような気がする。
「ほらよ、できたぜ」
「もう、できたの」
雲雀の声が不満そうに聞こえた気がして、首を捻る。自分で言いつけておいてなんだというのだろう。
「お前俺にさっさといなくなってほしいんじゃないのか」
(そもそも群れるのが嫌いなんじゃ……あ、群れ認定は3人からだっけか)
雲雀に俺のことを話してから、病院で会った時のことと言いレポート提出の度に応接室にいないことと言い、俺を視界に入れたくないほどに嫌悪しているのかと思わせるほどだった。
フゥ太に真っ向から拒絶されたのよりは自然だったから、てっきり頭のおかしい奴とは一緒にいたくないのかと思っていた。なぜか今日は自分から学校に引っ張ってくるという謎の行動を取っているが。
眉を顰めて、雲雀が不満そうに口を開いた。
「勝手に君がいなくなるだけじゃないか」
「は?」
意味がわからない。あれだけこっちくんなオーラを全身から出していたくせに、なにが勝手にいなくなるだ。
「もういい。それより時間があるならお茶淹れてくれてもいいよ」
「はぁ?!」
くるりと椅子を回転させて、窓の外を見る雲雀がどんな顔をして言っているかわからないが、今日こいつは熱でもあるんじゃなかろうか。
(くれてもいいよ……ってこの場合は命令の意味なのか?)
勝手のわからない応接室の中、茶葉がどこにあるのか探そうとうろうろ歩く。ようやく見つけた筒を持ち上げ、中身を見れば高級そうな茶葉が入っていた。
となれば、横に置いてある湯のみが雲雀のものなのだろう。取り上げた湯のみにポットの湯を注いで、急須に移す。注ぎ直して振り返れば、もう外を見てはいない雲雀がこちらを見ていた。
できるかどうか不安なら自分でやればいいのにと思いつつ、湯のみをデスクに置いた。
「ほらよ」
「慣れてるみたいじゃない」
湯のみを見下ろしての言葉に、首をかしげながらも答える。
「慣れてるっつか……普通じゃね?」
「そう」
音は立てずに茶を飲む雲雀に、なぜか変に肩がこる。こんなに長い時間普通の話をしたことはなかった。雲雀が切れて喧嘩になるか、俺が逃げだすのがほとんどだった。気まずいのは俺だけだろうか。
「お前忙しそうだし、やっぱりもう帰るよ」
ちら、とデスクの上の書類の山を見て洩らす。俺がレポートを作っている間に進みはしたのだろうが、この時間でこの作業量なら、きっと今日は一日中仕事だろう。
うっかり書類の文面に並盛商店街と書いてあるのが目に入って、慌てて目を逸らした。しがない一中学校の風紀委員の仕事じゃないだろうと突っ込みたくても、相手は雲雀だ。
「……だ…ても……に」
「え?」
ぽつりと雲雀の何やら呟いた声がかすかに耳に届いて聞き返す。けれど、不満そうに引き結ばれた口は開かなかった。張っていた肩を落として、応接室の入口に向かう。
(あ、そういや)
これだけは聞いておこうと、顔だけで振り返る。
「お前さ、俺のこと頭おかしいと思ってるんじゃないのか」
「何言ってるの」
それこそ頭おかしくなったの、と言いたげな顔で言われて、思わず笑いがこぼれた。
「そか、ありがとな」
フゥ太のことがあって少しだけ重かった心が軽くなった気がして、礼を込めてそう返す。まさか雲雀に励まされるようなことになるとは思っていなかったけれど。応接室を出て、ドアを閉めた。
もう雪合戦は終わっているだろうか。陽も出てきたし、積もっていた雪も溶け出す頃だろう。