風惑リアリティ 十六話 燃料次第で行き先が決まる
今日も冷える。冷たい空気を吸い込むと、肺の中だけじゃなくて全身が冷えるような気がした。2月なのだから寒くて当たり前と言われればそれまでのことなのだけれど。
フゥ太のことですこしばかり落ち込んでいようがいまいが生活費が安くなってくれるわけもなくて。
「電気代が馬鹿にならねぇんだよな……」
マフラーに首をうずめ、両手を制服のポケットに突っ込んで歩きながら、ひとりごちた。
燃料次第で行き先が決まる
夏はよかったのだ。
エアコンが無くて耐えられないのは日中だけのことであるし、休みで時間が空いている絶好の稼ぎ日和だからと終始バイトを入れていた。そのおかげで悲鳴を上げたくなるほどの電気料金の明細を目にすることもなかった。
しかし冬は違う。冷え込む朝夕は当たり前だが家にいるし、その時間にバイトを入れて登校に支障をきたすわけにもいかない。
結果、布団に入って耐えているだけでは凌げない冬にエアコンの使用時間も多くなり、予想外の料金のためにそれ以外のことで節約を強いられる。
そうすると目につくところからまず節約が始まるわけで、つまるところは。
「ええ、今日お弁当持ってこなかったの?!」
「おー……寒くて蒲団から出られなかったのもあるけど、ろくなものが冷蔵庫に入って無くてな」
昼休みなのに弁当を取り出そうとしない俺を不思議に思ったらしいツナの声に小さく弁当ないんだ、と返すと、目を見開いてツナが驚く。
買い物に出ても買い過ぎないように、と心に言い聞かせていたのが裏目に出たらしい。食糧の計算を間違えるなんて、と自分に呆れていた。朝食も十分に取っていないので、午前の授業中苦しい悲鳴を上げる腹を何度恨めしく思ったことか。
「よかったら俺のちょっと食べる……?」
「いつももらってるしな。俺のも食うか?」
ツナと山本が二人して弁当箱を差し出してくれるのに、涙が出そうになる。ああ、こいつらなんていいやつなんだと遠慮なく手を伸ばそうとしたところで、さっと山本の弁当箱が遠ざかった。
まさか、と唖然としながら山本を見上げると、どうやらいたずらではなかったらしい。当の山本は教室の入口の方を振り返っていた。
「悪い、俺なんか呼ばれてるみたいだからちょっと行ってくるな」
食ってていいぞー、とひとこと言い残して、山本が席を立った。
ついでに置いていった箸を借りて、輝いて見える弁当箱のおかずをつまむ。口に広がるうま味を味わいながら、少し余裕が出たのでツナに尋ねてみることにした。
「山本、誰に呼ばれたんだろーな」
「え?さ、さあ……山本人気あるから」
「は?」
人気があるのと、呼び出されるのと何が関係あるのだろう。結び付かず、ただ口の中のものを咀嚼する。そして、
「ああ、今日14日か」
どうにも生活が逼迫しているから、10日に明細書が来た事を覚えていても、今日がどんなイベントの日なのかを忘れていた。
(バレンタインデー、ね)
道理でツナがそわそわしているはずだ。笹川京子のチョコの行方が気になって仕方ないのだろう。
当の自分は、確かに高校の時はもらえた、もらえなかったで一喜一憂していた。まあもらったとしても1個か2個で大抵友チョコあるいは義理チョコだったけれど。
「あ、獄寺君も呼ばれてるみたいだけど」
「いいんですよ10代目!昼飯時に女どもに時間割かなくても」
今かなり聞き捨てならないことを聞いた。むしろうらやまし過ぎる獄寺から妬ましい一言を聞いた。
「いやいやいいわけないだろ。行ってやれよ」
「はあ?てめえに言われる筋合いはねえよ」
「このモテ男め。行くついでに持ってるパンを置いていけ代わりに俺が食ってやる」
「ご、獄寺君、行ってあげた方がいいんじゃないかな」
俺の言葉には眉を跳ねあげて怒るだけだったが、ツナのフォローを受けてしぶしぶ獄寺が席を立つ。
流石にパンを持っていくことはなかったけれど、最後に振り返って全部は食うなよ!と言い捨てていった。あいつも前に比べれば柔らかくなったのかもしれないな、と思いつつ獄寺のパンを半分ちぎって口に頬り込む。
「獄寺君も山本も人気あるなあ」
「山本は言わずもがなだし、獄寺も顔はいいからな」
「顔は、って……」
ツナが口端を引きつらせて笑うのに、思いきり笑顔を返した。
(俺はクラブ活動もしてないし、クラスで目立つ奴でもないからなあ)
陸上部だった頃は練習中に、頑張ってるジャン、と笑い交じりでチロルチョコを投げてくるような子もいたけれど、ここでそんな嬉しいハプニングもない。
死ぬ気で飛び出していったツナを見送って、下駄箱へ向かう。裸足で飛び出して行って、明日ツナは何を履いてくるつもりなのだろうか。
普段通り、慣れた動作で自分の靴箱を開けて靴を取り出そうとして―――
「ん?」
なにか固いものが手に触れる。来た時になにか入れたりしただろうかと屈んで中を見てみると、
(……明日、ヤリが降る。むしろ天変地異が起こるかもしれねぇ)
小さめではあるけれど、綺麗な包装紙でラッピングしてある2つの包みはおそらく―――チョコ。
茫然としてから、慌てて辺りを見回した。これは手の込んだ誰かのいたずらではないだろうかと、猛然と辺りを見回したけれど隠れて見ている輩も見当たらない。
もう一度靴箱の名前を確認して、ようやく包みに手を伸ばした。取り出してみても、確かな重さのあるそれは空箱ではない。
ひねた考えを捨てれば、これは誰かが俺にくれたチョコというわけで、俺のチョコということでいいんだろう。メッセージカードなどは入れられていないけれど、まともに昼飯を食えていないのでありがたく腹の足しにさせてもらうことにした。
それにしても2つとは、とちょっとした感動を覚えつつ、取り出したチョコをいそいそとバッグに入れようとして、腕を掴まれた。
幸福真っ最中の俺の腕を掴むとは何事だ、と後ろを振り向くと。
「……げ」
「それ、回収対象なんだけど」
風紀の腕章を付けた黒の学ランを羽織った風紀委員長が、不快感も露に俺の上腕を掴んでいた。
それ、と視線で指すのはもちろん俺が今しまおうとした、2つの包み。
視線から隠すように身をよじって腕を振り払おうとするが、思ったよりしっかり掴まれていて簡単には離れない。
「なに逃げようとしてるのさ。ほら、さっさと出しなよ」
「……今日位いいじゃねえか」
漫画には描かれていなかったと思うのだけれど、やはり風紀委員の取り締まりは行われていたらしい。先ほどは目に入らなかったが、よく見てみれば学ランにリーゼントの風紀委員がちらほらと立っているのがわかる。
風紀委員長直々に取り締まりにこなくてもいいのに、と内心舌打ちをした。雲雀でなかったら、この短時間にバッグに入れようとしている包みは見つからなかったかもしれない。
しかも病院でもそうだったようにやたら顔が険しい。そんなに嫌ならわざわざ来ないで誰かに言いつければいいものを。
小さな反論など目の前の雲雀には通用しない。さらに目を吊り上げて睨んでくるのに、溜息をついた。
「よくそんな誰が作ったかもかもわからないようなものを食べようって気になれるね。捨てればいいのに」
「ってめ」
かっ、と頭に血が昇って、無意識に手が出そうになった。震える手を何とか押しとどめて、雲雀に向きなおる。
「捨てるなんてよく簡単に言えるな」
「そんなに大事なものなわけ?」
「ああ、俺には大事だね!」
毎年山ほど貰える奴はどうだか知らないが、俺にとっては正直嬉し過ぎるものだ。まあ今は腹が減っている俺へのこれ以上ないプレゼントに思えてしょうがない、というのが大きいが。
腹が減るとどうも短気になっていけない。細く息を吐いて熱くなった頭を冷やしつつ、今度こそ強く雲雀の手を振り払った。
(ん?)
あれほど離れなかった手が予想よりはるかに容易く解放されて、強すぎた勢いでたたらを踏んだ。
不思議に思って雲雀の顔を見れば、若干いつもより目が見開かれているような気がする。驚き、というよりも意図せぬものが頭をよぎってそちらに気を取られているという感じだった。
なんだかわからないが、チャンスだ。出来るだけ素早く靴を履き替え、バッグを抱えて昇降口から駆けだした。
追ってくる気配もなくて、逆に不安になる。まさか明日呼び出しされたり、靴箱がメッタメタになっていたりしたらどうしようか。
素直に渡すべきだっただろうかとも考えたが、その後のチョコレートの末路を思うといたたまれなかった。一応俺宛であるはずのチョコレートが風紀委員に食われたりしたらたまらない。
ひとまず帰りにスーパーに寄って冷蔵庫の中を埋めるものをなるべく低いコストで買ってから、チョコレートのことを考えようと思い足を早めた。
「ツナまた鞄置いて行っちまったな」
「馬鹿野郎、俺らが届けるのを見越して10代目が置いていかれたんだよ!」
やっと教室でのチョコ攻めから解放された獄寺と山本が下駄箱に向かう。最後までチョコを突っぱねた獄寺とは対照的に大きな紙袋に大量のチョコを詰めた山本は、一応風紀委員の眼から紙袋の中身を隠しつつ歩いていた。
死ぬ気で教室を飛び出したツナが忘れていった鞄を手に持った獄寺が、曲がり角の向こうの影を見て眉をしかめる。
「どうした、獄寺」
「雲雀のヤローがいやがる」
獄寺にとっては運のいいことに今は煙草をくわえていなかったけれど、山本の手にあるものが雲雀に見つかれば面倒なことになる。
頬を掻きながら、あちゃー、と呟いた山本が雲雀の様子をうかがう。そして、あることに気がついた。
「あれ?」
今雲雀がいるところから見えないはずはない靴箱を開けた男子が、チョコを見つけて喜んでいる。しかもそれを手に、雲雀には気づかないまま昇降口を出た。
その間中、雲雀は微動だにせずその生徒を咎めることも呼びとめることもなく、ただ立ち尽くしていた。
雲雀の様子に気づいたらしい獄寺と顔を見合せて一度頷くと、下駄箱へ再び足を進める。
いらぬ緊張感を抱きながら、獄寺が横眼で雲雀の様子を確認する。わずかに下を向いて顎に手を当て、なにかを考え込んでいるようだった。
静かに開けた靴箱にこれまたチョコが入れられているのに顔をしかめながら、靴を履きかえそのまま気付かれないように学校を出る。
少し遅れて、どうやら靴箱に入っていたチョコレートも紙袋に詰めたらしい山本が出てきた。
「やっぱ変だったな、雲雀」
「ああ。俺が紙袋開けてもなんにもいわなかったもんな」
さらに中身の増えた紙袋を指して山本が言う。互いに顔を見合わせて首をかしげながら、ツナの家を目指して歩き出した。
「変って言えば、今日が弁当持ってこなかったのもおかしいよな」
「あいつの場合は寝過したとかじゃねえのか?別におかしかねーだろ」
やっと取り出した煙草をくわえながら、獄寺が反論する。あいつ俺の昼飯半分食いやがって、と不満そうに呟くのに苦笑しながら山本が思い出したように口を開いた。
「そーいやもさっさと帰っちゃってさ、探しに来てた子いたのにな」
「よくそんなもん気付くな……」
山本も女子に囲まれていたと言うのに、よくもそこまで気を配れるものだと呆れながら獄寺が煙草をつまんで息を吐く。
自分は女子を撒くのに必死だったこともあって、全く気付かなかった。
「運動できるしな。大人っぽいところもあるし」
「どこがだ。どこが」
獄寺からすれば大人っぽいところなどかけらもないように思えた。運動ができると言うのは否定しないが、山本に言われたらも難しい気分になるだろうと考えて―――溜息を吐く。
認めたくはないけれど、悪友というくらいには思考が読めるらしいことに気づいたからだ。実際、目の前の相手よりは話しやすかった。憎まれ口の叩き合いが話をしているというならば、だったが。
「なに難しい顔してんだ、獄寺」
「野球バカが野球バカだってことに気づいたんだよこの野球バカ!」
野球バカという呼び方が、本当に野球が好きな山本にとっては悪い意味にならないことにもそろそろ気づいていい頃だった。