風惑リアリティ 十三話 水涸れ山盛り積る話は食事の後で
「いい機会だ。あいつに見せようと思ってたしな」
あいつというのが誰なのか、いったいなにを見せるのか、その言葉だけで判断できなかった俺が鈍いのだろうか?
水涸れ山盛り積る話は食事の後で
話は今日の朝まで遡る。ゴミ捨て場に不燃物を投げいれ、鞄を持ち直してマンションを出ようとしたときのこと。
「あ、君、おはようー」
「杉原さん、おはようございます。珍しいですねこんな朝早くから起きてるなんて」
杉原さんは基本夜型の人だ。時々俺の部屋に訪ねてきたとき、こちらが昼飯を振舞ったつもりが杉原さんの朝飯ということもザラである。
そんな杉原さんを朝っぱらから見るなんて珍しい、そう思って返せば。
「うんあのね、今日このマンション夕方5時から明日の朝8時まで断水して水道工事するんだ」
「・・・え?」
「だから住んでる人にそのこと伝えなくちゃいけなくてさ。君もよろしくねー」
俺知らなかったんですけど、という非難が口から出る前に杉原さんは踵を返して行ってしまった。
夕方5時と言えばバイトがない今日はちょうど帰ってくるぐらいの時間だが、水を貯めてもいないし、買い置きの水があるわけでもない。
水が止まればトイレ風呂はもちろんキッチンの水だって出ない。
「俺に今日の夜どうしろっていうんですか杉原さん……」
「ってなわけでさ……どうしよう今日」
学校へ着くなり机に突っ伏した俺に、ツナと山本が話を聞いてくれた。獄寺はいつものように遅刻らしい。ため息交じりに話す俺に同情してくれたのか、ツナが眉尻を下げて言う。
「マンションって大変だね……ん、あれ?って一人暮らしなの?」
「え?……あ、そう、実はそうなんだよ」
今まで俺の家にツナを呼んだり、ツナに俺の家のことを話したりしたことはない。初めてのその質問にうろたえつつ答えた。
「え、それじゃまずいんじゃね?」
「そうだよ!今夜どうすんのさ」
いやだからそれを相談しようと思っていま話したんだけれども。一言をぐっと飲み込んで、ただもういちど溜息を吐いた。
「……さえよければだけど、今日俺んち来る?一日だけならたぶん母さんもオッケーしてくれるんじゃないかな」
「へ?」
思いがけないツナからの申し出に目を丸くした。ただでさえツナの家は今大所帯なんじゃなかっただろうか。そんなところに俺が邪魔してもいいのだろうか。
「いいのか?」
「いやっ、もちろん母さんに聞いてみないとわかんないけどさ!」
「大丈夫だって、もしツナんち駄目だったら俺んち来てもいいぜ!親父には話しとくからさ」
山本までそんな嬉しい申し出をしてくれて、なんとか俺は今日の夜を越えることができそうだった。
ところが学校を終えてツナと一緒にツナの家に向かえば、その家の前を埋め尽くす黒衣の集団。
全員がスーツを着込み、辺りに注意を払っていることからも、異常な事態であることが見て取れた。
音を立てて、血圧が下がるような気がした。真っ青な顔をしているツナの横顔を見て、言う。
「ごめん俺やっぱやまもt」
「ちょっとーーー!!!見捨てないでよ明らかにおかしいからってそんなこと言わないでよ!!!」
涙目で叫ぶツナの声に、スーツの集団の眼がこちらを向いた。
俺の手にすがりつくツナは気付いていないようだが、値踏みするようなその視線に背筋が冷えた。本当に怖い。
そして集団の中の一人が近づいてきて、こう言った。
「悪いが沢田家の人以外は通せないんだが」
「え、俺……沢田綱吉ですけど」
「おお、あなたが!」
ツナが名を名乗ると、あたりがざわめいた。この異常事態の中心はやはり沢田家……もといツナ関係にあるようだ。となればこの集団はまさか、
「ちゃおっす、。めずらしいな、お前が来るなんて」
ツナの後ろにいつの間にかスーツの赤ん坊が佇んでいた。それに気付いたツナが詰め寄る。
「リボーン、これどうなってんだよ!お前またなんかしたな?!」
「まあいいからお前の部屋に行ってみろ」
有無を言わせず、リボーンが家の2階を指さす。しぶしぶと向かおうとするツナがこちらを振り返った。
「、お願いだから今日泊まってってよ!」
先ほどとは懇願の種類が違う。むしろこの異常事態においていくなと言わんばかりの悲鳴だった。
「えー……」
「どういうことだ、泊まってくって」
こちらを見上げ聞き返す赤ん坊に、俺はまたもや朝の話をしなければならないらしかった。
リボーンに話した結果は同じだった。なにかを企んでいるような顔をして、
「いい機会だ。あいつに見せようと思ってたしな」
と言うなり集団の間を縫うように歩いて玄関を潜ってしまった。こうなれば引き返すわけにはいかない。まだツナの親から了解をもらっていないことが気がかりだった。
「あらー!君今日は泊まっていくんですって?なんのおもてなしもできないけど、くつろいでちょうだい」
「……あの、」
「マンションが断水なんですって?大変よねえ。夕ご飯できたら呼ぶから、それまでツナの部屋で遊んでいてね」
「……ありがとうございます……お邪魔します」
優しさが心に沁みるが、心配にもなった。こんなに人がよくて、騙されたりしないといいのだけれど。しかしリボーンからだろうか、話が通ってくれていたお陰で助かった。
頭を下げて、ツナの部屋へ向かう。階段を上っている途中で、ドオン、と家をも揺るがすような爆発音が響いた。
壁に手をついてやり過ごすが、どうにも家の中からの爆発ではないようなそれに疑問を抱く。おそらくはランボの手榴弾かなにかだろうが、もう視界に入っているツナの部屋は平穏そのものだ。
まさかツナの家以外で爆発事件などがあったらそれこそ大事件だ―――、とそこまで考えてかなり自分がこの非日常に染まっていることに気がついて恐ろしくなった。
(流されやすいってのにも程があんだろ、俺)
溜息を吐きつつ、ツナの部屋のドアを開ける。そこには予想していたような怯えた顔のツナではなく、目をきらきらと光らせ興奮した様子のツナがいた。
「どした、ツナ」
「あ、!今さ、ディーノさんって言う人が、めちゃめちゃカッコよく手榴弾をこうピシ―って!!」
「とりあえず落ち着けよ何言ってんだお前」
手を振ってなにかのモーションを必死に真似して早口で説明するツナを手で諫め、聞こえた単語を頭で反芻した。ディーノさんって言う人が、ディーノさん、ディーノ?
(ディーノって……ギャバロンだかキャッバロネだか舌噛みそうな名前のマフィアのボス!?)
そうか、ディーノが初めて登場した日か、と合点して、ふと先ほどリボーンが言っていた言葉を思い出す。
(『あいつ』って、ディーノのことか?)
わざわざツナのために来たのであろうディーノに、他のなにを見せる必要があるのかという疑問が頭に浮かぶ。
まさか不穏分子疑惑が晴れた様な晴れないような俺を消すための相談じゃないだろうなと考え着いて、慌てて否定した。消すならリボーン一人でも容易くできることだろうし、ディーノを呼ぶ必要もない。
思考の末、リボーンの思惑を追うことなど無理だと結論を出し、とりあえずはしゃぎ続けるツナは放置して、夕飯の用意でも手伝おうかと荷物を置いて再び階下へ降りた。
「気を使わせてごめんなさいね。くつろいでくれていいのよ?」
「いえ、一晩泊めていただくんですし、この位は」
台所に立つ奈々さんの隣で、今日の献立に使うらしいじゃがいもの皮むきを手伝う。俺からすれば、予告もなしに突然泊めてもらうのだから当然位に思っていた。
「そういえば君は料理得意なんですってね、ツナから聞いたわ」
思わずじゃがいもを剥く手が止まる。ツナが一体俺のことをなんと話しているのか気になった。
「え、ええ、まあ。一応自炊なので」
「すごいわー!私もちょっと食べてみたいわね」
俺が作っているのは所詮一人暮らしの男料理であって、奈々さんの料理には全く及ばないと思うのだけれども。こう言う場合は出しゃばるべきじゃないだろうと、自重するひとことを出すその前に、
「なにか一品作ってみない?うちにある材料でよかったら」
「……奈々さんさえ、よければ」
満面の笑顔で振り向かれては、無碍にすることもできない。
あまり夕食まで時間がない。この短時間で、大人数にいきわたるようなおかずを作るとしたらなにがいいのだろうかと、顎に手を当てて悩む。
「……すみません、卵とネギ、ありますか?あと他にも野菜があれば助かるんですが」
「あるわよ、卵とネギね?あと野菜はうーん、人参と、白菜と……インゲンかしら」
挙げられたそれらの具材に、笑顔を返す。十分だ。
「みんな、ご飯できたわよー」
呼びかけに、全員が食堂に集まってくる。そこには子供たちはもちろん、輝く金髪を持つイタリア人の男―――ディーノの姿もあった。
初めて見るその男に、若干緊張が走る。確か一人ではへなちょこだけれど、れっきとしたイタリアンマフィアのボスだ。
「……はじめまして」
「お、聞いてるぜ。って言うんだって?よろしくな」
頭を下げつつ、その雰囲気に驚いた。人好きのする笑みを浮かべたディーノの顔は好青年そのもので、およそマフィアのボスなどとは縁遠い人種のように思えた。
「それじゃ、いただきましょうか」
「いただきます」
声を合わせて、食事を始める。ひとまず食事に集中しようと箸を動かすが、ツナとディーノの会話は耳に入ってくる。
「さ、なんでも聞いてくれ。可愛い弟分よ」
なるべく平静を装って食事を進めるが、馴れ馴れしいその様子がどうにも癇に障る。俺が、年の差もあってツナのことを弟とも後輩とも思っているところがあるからか、今日突然現れた兄気分に横取りされたような気分がした。
「今日のこのあんかけ卵、君が作ってくれたのよ」
そんな中、間のいいというか悪いというか絶妙なタイミングで奈々さんが話を振ってくれた。
「奈々さんには遠く及ばない味ですけど、よかったらどうぞ」
反応に困りつつ、一言返して笑っておいた。細かく切った野菜を炒めて卵で巻いたものに甘酢あんと白髪ねぎを乗せただけだけれど、ボリュームはあるし何より御飯が進む。
普段作る時は冷蔵庫の整理を兼ねてかなりの野菜を入れるが、今回の量くらいの野菜でも十分野菜の食感は味わえるはずだ。
「へー、作ってくれたんだ。もらうね」
「それじゃ俺も」
ツナとディーノが同時に箸を伸ばすのに、ディーノの箸使いが気になったのは伏せておく。部下がいないから仕方ないのだろうが、誰か食い散らかしたディーノの皿の周りに気付けばいいのに。
「お、」
「んー、たまごふわふっふわで、ネギのシャキシャキしてるのがよく合うー」
とりあえずイタリア人も味覚は同じらしい。感想を述べるツナの隣でもぐもぐと口を動かすディーノの目じりが下がるのに、ほっと一息吐いた。
(料理の腕がこれほどありがたく思ったことは無ぇな)
「客間が一つなのよ、ごめんなさいね君、ディーノ君」
申し訳なさそうに言う奈々さんに、悪いことなんて一つもない。突然押し掛けてきた客がたまたま2人いた、それだけのことなのだから。
風呂場での騒ぎの結果銭湯に行くことになった。温まった体が冷えないうちに帰ってきた俺たちを迎えた奈々さんは俺たちのために寝床を用意しておいてくれたらしい。
「俺はツナの部屋でも……」
「まあそういうなよ!俺と相部屋でもいいだろ?」
なにが悲しくて初対面の男と2人部屋なのだろうか。あっけらかんと笑うディーノに肩を落とした。こういうところ、もしかすると日本人よりイタリア人の方がフランクなのかもしれないと自分を納得させながら。
料理を振る舞った時点で互いに警戒心は解かれていたとはいえ、今日初めて会ったことに変わりはないのだから。
今更ながらにそんな違いを噛みしめつつ敷いてある蒲団をさりげなく片一方から遠ざけて、寝支度を始めたその時。
「ちゃおっす。むさい部屋に邪魔するぞ」
「むさくて悪かったな」
ドアを開けてリボーンが部屋に入ってきた。酷い言われようだが、好きでこうなったわけではないのだから勘弁してほしい。むしろリボーンと代わってほしいくらいだったが、それは許されないのだろうと諦めた俺に、再び声がかかった。
「眠いんで単刀直入に言うぞ。、そこで的になれ」
「まと……」
相変わらず口が悪いが、そこで合点が行く。的、ということはつまり俺が銃の標的になるということだ。
「お、もしかしてここに来る前に聞いた、あれか?」
「ああ。百聞は一見にしかず、ってな」
言うなり取り出した銃がこちらを向く。ディーノのセリフからするに、俺のことはどうやらイタリアでは既に知られているらしい。座っているディーノの目に好奇の色が浮かんで俺を見た。
俺が思っているよりもなんだか軽い事態のように思えてきて、奇妙な違和感がある。もっと異端な者を見るような目が向けられるものと思っていたのだが―――目の前で光が炸裂して、耳に甲高い音が飛び込む。
反射で顔を覆ってしまったものの、結果は以前と同じ。俺に向かって放たれた銃弾は届くことなく、透明な何かに弾かれたように軌道を変え、沢田家の壁に飛んでいった。
ヒュウ、と口笛を吹いて、ディーノが声をあげた。
「マジかよ、すっげえな」
「お前、実際に見てみてこれをどう思う?」
弾が当たらなかったことに胸をなで下ろしている俺を無視して話を続ける2人の声に、耳を傾ける。
「どうって言われてもな……なんで弾かれるのかってことだろ?間近で見たってわかんねーよ」
「使えねー奴だな」
「お前だって分かんねーんだろうが!そもそも死ぬ気弾が弾かれるなんてこと前例には無いんだろ?」
「ないのか?」
俺にとっては初めての、こちらでの情報だ。ずっとわからなかった、この現象を理解する手助けになるようなものはないかと思ったが、
「ねぇな。更に言えば科学班も今のところは解明できてねえ」
返されたリボーンの答えに俺は肩を落とした。しかも前例がないと言い切られては、どうにも俺がこの世界の人間ではないことに由来していると考えるしかない。
「科学班からすれば直接実験でもしたいところだろうが、曲がりなりにもツナの友達改めファミリーにおかしな真似されても困るんでな。俺から9代目に賭けあっといた」
自然、行きつくところでリボーンがそのような気遣いをしてくれていたことに驚きつつ、感謝した。自分が変わらずここで生活できているのは少なからずリボーンのお陰らしい。
「ってちょっと待てよ、俺はまだファミリーになるとか認めてねぇぞ」
「あれ、そうなのか?リボーンの口ぶりじゃツナのめちゃくちゃ信頼できる部下かと思ってたぜ」
リボーンが俺のことをなんて説明していたのか気になってしょうがないが、先ほど知った事実の手前強く出れず、ただ恨めしそうにリボーンをみやる。
赤ん坊は口端を不敵につりあげて、相変わらず何を考えているのかわからない笑みを浮かべるだけだった。
「まあ、珍しいもの見れてよかったなんて、軽く喜んでる場合じゃなさそうだな。おい、」
頭の後ろを掻いて、仕切り直しというようにディーノが声の調子を真面目なそれに変えた。
「お前が特殊な奴だっていうのはよくわかった。ならなおさら―――確かめておきたいことがある」
先程までとは一転して、真摯な瞳が、確かめるように俺を見る。食事の時とは違う、まさに一大ファミリーのボスと言った風格が、そこには感じられた。
「ツナは俺の弟分だ。俺もあいつを気に入ったし、立派なボスにしてやりてえと思う。だから、お前はあいつにとって良くない存在なら……俺はお前に、あいつの傍に居てほしくない」
傍に居てほしくない、とはずいぶん柔らかい言い方だが、その本質はつまりツナの前から消えろということだ。
ツナの為になるかならないか、それは今の俺には分からない。ただ、言えることは一つ。
「俺はあいつの友達だ。あいつを害するつもりも、そうなるような行動をとる気もない」
マフィアとかファミリーなんてものが関係する前から一緒に居て、漫画の中だけのキャラクターだと思っていたツナがすごく身近な存在になった。
今では友達と呼べる仲であるツナを裏切るような真似をする気は毛頭なかった。
―――当のツナに俺のことを話していないのは、正直良心が痛んでいる。まるで騙しているようだと思ったこともあるが、知らないでいられるなら、できるだけそうしていたい。
否定の言葉をきっぱりと口にした俺をじっと見つめること数秒、ようやくディーノは俺から視線を外した。その口元は笑んでいる。
「わかったよ、お前の言葉を信じることにする。……リボーンが容易くお前を信用した訳がわかった気がするぜ」
「……え?」
「わかったような口きくな、俺はもう寝るぞ」
ディーノの言葉に踵を返しさっさと部屋の外へ出ていくリボーンに視線をやるが、その表情は窺えなかった。
呆けたように口を開いたままの俺の頭に手を置いて、ディーノが嬉しそうに笑う。
「あいつ照れてんだって、さ、俺たちも寝るとするか……いや、ツナのファミリーの今後について話し合うのも悪かねえな」
「いや話し合わねえから。というよりまず頭に置いた手を下ろせよ俺は子供じゃねぇ」
「なにいってんだ中一なら十分子供だろ!」
あれ、と言われたことを頭でもう一度確認して、気付く。
(ディーノは俺がこの世界の人間じゃねえって、知らねえのか?)
てっきりそれも添えて、俺のことが広まっているものだと思っていたがどうやら違うらしい。あまりに不確定要素が多すぎて、とりあえず保留にしたということだろうか。
リボーンが俺を信用していると言ったのがなんとなく嘘臭く感じられてきて、首を振った。あの赤ん坊の思惑を読むのは無理だと、気づいたばかりだ。勝手に落胆していても仕方無い。
そう判断して、無理やり自分を納得させた。そうして、
「じゃ俺寝るから」
ディーノの手をのけて、布団に潜り込んだ。
ところが結局ディーノの話に付き合わされて目が冴えてしまい、朝方まで寝付けなかった俺は、あろうことか次の日寝過した。
人様の家に泊まっておいてなんたる失態を、と思ったが、その朝起きたやくざ騒動をツナから聞いて自分の幸運を内心で喜んだのだった。