風惑リアリティ 十話 怪我は経過が大事なんです
「うちのクラスの選手を決めたいと思いますので、希望種目に手を挙げてください。一人一回で」
天高く馬肥ゆる秋、食欲の秋でもあるが、もと陸上部所蔵としてはやはり、
(スポーツの秋も外せねえよな!)
怪我は経過が大事なんです
体育祭の種目がずらりと書かれた黒板を見ながら友人たちと話し合う生徒たちの声で教室はざわついている。
挙手で決める前の数分、思考のための時間ではあるけれど多くの生徒にとっては、友人と同じ種目になるための相談の時間だった。
前の方に座っていたツナが席を立って、こちらへと来るなり苦笑しながら言った。
「で、やっぱりは短距離なの?」
「あったりまえだろ。俺が出ないで誰が出るんだよ?……あ、山本か」
ガッツポーズをしてやる気満々にそう言った俺の後ろから、楽しそうな声が響く。
「お、も短距離か。がんばろーな!」
座ったままの俺の肩に手を置く山本を振り返った。山本は言わずと知れたスポーツ万能男なだけあってなんでもこなすが、やはり短距離狙いらしい。
そもそも、体力的には大学生レベルだろう俺が中学生と競うこと自体が反則のような気もするが、強制参加行事だししょうがない。
(とかなんとか言っても俺が走りたいだけだけどな)
強制とはいっても、この参加種目を決めるためのホームルームに参加していない獄寺はそもそも体育祭に来る気があるのかどうかすら怪しいが。
「取るなら一等だよな」
「なー」
笑い合う俺と山本の隣で、ツナが肩を落としていた。
「俺は一等とかどうでもいいから参加したくないよ……」
そんなツナにとってはまさに災難続きではあるが、次の日の放課後にあったクラス対抗棒倒しの総大将に選出されてしまったらしい。
らしい、というのはバイトが合った俺はツナたちに話し合い参加を任せて帰ってしまったからなのだけれど。
久々に競うことができるというのに浮かれて体育祭の話を忘れていた俺が悪いかもしれないが、総大将というのもまたいい経験だろう。そう思って、俺は当日まで気にしていなかったのだ。
その日どんなことが起きるのかということを。
「んなにい!?てめえ棒倒しに参加しねえだとお!?」
体育祭当日朝、1年Aクラスの集合場所に着いて二言三言の会話の後、獄寺が噴火した。
「したくてもな―……この間雲雀にやられた肩が、力掛けるとじーんと痛いっつか」
「大丈夫なの?湿布とか、ちゃんと巻いてる?」
心配そうに俺を見上げるツナに申し訳ないと思いつつ、首を振る。
「いや、俺ん家そういう湿布とか無いんだよ……買わなきゃとは思ってるんだけど」
「そりゃよくねーよ。あとで保健室行ってきたらどうだ?」
(でもあそこに居んのシャマルだろ……)
山本のアドバイスに力無く頷きながら、女しか診ないと言い切る保険医のことを考えた。ダメだ、診てくれるとは思えない。
「でも、それなのに短距離走は出ても平気なのか?」
「ああ、前後に手を振るのは問題ないみたいだ。ちょっと走ってもみたけど響かねえ」
2日前のバイト中に肩に痛みが走ったときはまさか、と戦慄したけれど、その後久しぶりに走って帰ってみたらなんともなかったので安心した。
まさか走れないほど肩が悪化していたらどうしようと、内心泣きそうになったのは秘密だ。
「けっ十代目が総大将を務める棒倒しに出ねえなんて、ファミリーの風上にも置けねえな!」
そもそも俺はファミリーじゃないが、ここで無理にでも「出ろ!」と言わない辺りが獄寺の優しさなのだろう、おそらく、メイビー、と最高に好意的な解釈をして、
俺は棒倒し不参加の申し出のために本部テントへ向かった。
『1−A野球部山本速いです!前評判通りぶっちぎりで一位!!』
実況の声が、短距離走のスタート地点である校庭の端にも響く。ひとつ前のレーンを走っていった山本は本人の宣言通り一等を勝ち取ったらしい。
こうして人と本気で競い合うのは久しぶりだ。高三最後の大会を期に勉強に本腰を入れ始めた俺は、自手練すらほとんどしなくなって、走ることから遠ざかった。
大学でも陸上関係のサークルに入る予定はなかったから、自然と俺は走らなくなるのだろうと思っていた。けれど、不思議なことに俺はまた学生生活を送っていて、体育祭なんてものにまで出ている。
おかしなことだが、それでもいい。またこうして競う、走る喜びが味わえる。こんなに嬉しい気持ちになるとは思っていなかった。今俺はすごい高揚感を味わっていて、それが嫌じゃない。
スタートラインに立つ俺の目に、遠く離れたゴールテープが映る。
走り出したらあれだけを見て、足と手を動かすだけ。
「よーい、」
クラウチングの構えをとって数秒のち、合図が、響く。
パァン!
弾かれたように後ろ足を蹴りだして、前へ。
ただ目指すのは白い線。
近づくそれへ、誰よりも速く
―――飛び込む!!
『ゴール!速い、またもや1−A、。かなりの差をつけて一位ゴールインです!』
ゴールラインを割った瞬間に一位の旗を持った生徒が近づいてきて、真っ白だった意識がやっと戻って一等だった事を把握した。
思わず笑みがこぼれる。無酸素だったため切れる息を整えながら一位の列に並べば、前に座っていた山本が拍手をくれた。
「すごい速かったな!いつもは本気出してないのか?今度勝負しようぜ」
息が乱れたままだったから、右手でただOKサインを出した。一位だったことも、素直な誘いも嬉しかったけれど、言葉にできなかったのだ。
ツナの勇姿を見ながら早弁して、昼休憩になると同時に保健室に向かう。シャマルが湿布を処方してくれるのかは謎だったけれど、一応一か八か行ってみることにしたのだ。
履き替えた室内履きでぺたぺたと音を立てて廊下を歩く。生徒の声はただ外から響いてくるばかりで、あまり人の気配のない校内はとても静かだった。
あまり広くはない校舎だから、歩けばすぐに保健室のプレートが見えた。
「しつれいしまー、す。……と、あれ?」
カラカラと控えめにドアを開けたけれど、そこに居るはずの人物の姿が見えない。中に入ってみても、シャマルが出てくる様子はなかった。
頭を掻く。無駄足かと思いきや、これは逆にチャンスだった。
(勝手に湿布もらってけばいいじゃねーか)
思いついて、適当に薬品棚を開けてみる。しかし、見当たらない。
(えー……どこにあんだよ)
なおもがさごそと室内を探るが、どうにも湿布が見つからない。途方に暮れていると、背後の保健室のドアが開く音がした。
手当たり次第に探していたため、まるで保健室は家捜しされたかのような状態だと自分でもわかっていたから、心臓が口から飛び出るかと思うくらい驚いた。
しかし俺の予想以上に、事態は悪かった。
「なにしてるの、君」
うわあ、と思わず顔を顰める。よりによってこいつが来るとは、なんというバッドタイミング。
「いや……なんでも……」
相も変わらず冷たい視線で刺すようにこちらを見る雲雀相手では、なんと言うべきかわからない。
まさか、「お前に蹴られた肩が痛むから湿布取りに来たんだよバーカバーカ!」とでも言えというのだろうか。無理だ、命がいくつあったって足りない。ここは三十六計逃げるにしかずだ。
「もう用済んだから俺行くわ!!それじゃっっううおおおおお!?」
無駄に笑顔を浮かべて走り去ろうとした俺の足が何かに引っかかった。確かめるまでもなく、それは雲雀の出した足だったけれど。
「挙動不審すぎて逆に哀れだね。さ、何をしに来たのかな?返答次第では咬み殺す」
初めて会ったときのツナよろしく派手に転んだ俺の背中に無茶な言葉が降ってきた。
あまりの自由奔放さ加減に天を仰ぐ。泣きそうになりながら口を開いた。
「湿布もらいに来たら先生いなかったから、探してたんだよ!」
半ば悲鳴だ。というより自棄だった。どうして肩を痛めた原因であるこいつに問い詰められなければいけないんだろうか。
「湿布か。なんだ」
「……は?」
やけにあっさり雲雀がそういうものだから、まぬけな声が洩れてしまった。
「湿布はそこの棚の引き出しの奥だったはずだよ。ちゃんと奥まで見たの?」
ただただ言われるままに引き出しを開ける、そうして、自分が引いた時よりさらに20pほど引き出せるのに気付いて、驚いた。
「あ、あった」
「よく探しなよね。それじゃ僕は校庭に行くから」
言うなり雲雀は保健室から出て行って、あとには茫然と湿布を持つ俺だけが残された。
右手に持った湿布の袋に目を落として、呟く。
「あいつ何で湿布の収納場所まで把握してんの……」
(まさか学校の備品がどこにあるのかに至るまで完璧に覚えてるとか……そこまで学校好きなのかよ)
トンファーを出されなかったことに胸を撫で下ろしつつ、雲雀が絡んでこなかった理由に首を傾げた。
結局俺はその後湿布を貼るのにも手間取ってしまって、湿布探しにかなり時間を費やされたせいもあって気付けば昼休憩が終わっていた。
肌に感じる湿布の冷たさは心地よいし、全力で久しぶりに走って程よい疲労も溜まっている。
そんな俺を誘うように白いベッドまであるものだから、つい横になってしまった……のが不味かった。
外がおかしいぐらいに騒がしいのにも気付かず保健室で眠ってしまい、体育祭の終了を告げるベルが鳴って飛び起きてやっと校庭に出てみれば、やけにぼろぼろなツナたちが居た。
そしてようやく、棒倒しをめぐる大騒動と、雲雀が変に急いで校庭に出ていった理由を知ったのだった。
(リボーン目当てで雲雀が棒倒しに参加するとか言う描写があったの忘れてたぜ)